韓国の文化財搬出を防ぐために全財産を投じて努力した全ヒョン弼(チョン・ヒョンピル、1906-62)。
この頃、ソウルを離れたのは、独立運動をしようと海外に亡命する人たちだけでなかった。 ソウル両班(ヤンバン)の生計手段は本来‘官職’だが、国が亡びただけに残る理由はなかった。 高等官はもちろん中間官吏さえもすべて日本人になったため、ソウルに残っても将来は見えなかった。 手遅れになる前に、いくらにもならない家産でも処分し、縁故がある田舎に農地を準備するのが賢明だった。 1910年以降の数年間、ソウルの日本人人口は急増したが、朝鮮人の人口はそれ以上に減った。 ソウル北村(ブクチョン)両班街では一日に数軒が引っ越しし、その度に後に文化財として評価されそうな物が捨てられたり安値に商売人の手に渡ったりした。
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