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「朴正熙元大統領は核兵器公開後に下野を考えていた」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
青瓦台(チョンワデ、大統領府)担当記者と4選国会議員を歴任した河舜鳳(ハ・スンボン)慶南(キョンナム)日報会長が7日、「故朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領は1981年の国軍の日行事で、国内技術で開発した核兵器を公開した後に電撃下野するつもりだった」と主張した。河会長はこの日出版された自叙伝「河舜鳳回顧録、私はいま東の夜が明ける明け方に立っている」で朴元大統領から李明博(イ・ミョンバク)大統領までの歴代大統領らを中心とした韓国近現代史の各種秘話を紹介した。

最も目を引く大きな話題は朴元大統領と核兵器開発の部分だ。河会長は自叙伝で朴元大統領が72年初めに当時の金正濂(キム・ジョンリョム)秘書室長と呉源哲(オ・ウォンチョル)経済首席秘書官を執務室に呼び、「平和を守るために核兵器が必要だ。技術を確保せよ」と緊密に指示し、70年代末に核兵器開発プロジェクトはほぼ完成段階まで進んだと明らかにした。河会長はまた、朴元大統領が79年1月1日に青瓦台公報秘書官を務めた鮮于煉(ソンウ・ヨン)議員を釜山(プサン)に呼び、「私1人で決めた秘密事項で、2年後の81年10月にやめるつもりだ。10月1日の国軍の日記念式で核兵器を内外に公開した後、その場で下野声明を出す。これで金日成(キム・イルソン)も南侵ができなくなるだろう」と話したと伝えた。

河会長はこのほか、朴元大統領が後継者として金鍾泌(キム・ジョンピル)氏を選んでいたと書いた。朴元大統領が普段から酒の席などで「私の後を継ぐ人は世の中が推測している通りだ」と話したというエピソードも書いた。 河会長はこれと合わせ自身が盧信永(ノ・シンヨン)元首相を大統領にするという夢を持っていた点と、ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)元総裁(現自由先進党代表)が大統領選挙で続けて苦杯をなめたことへの悔恨を本に盛り込んだ。河会長は李元総裁が大統領選挙に失敗した最大の理由を、「これまで韓国政治の流れを左右してきた地域主義を適切に活用できなかったため」と分析した。

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