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亡命前の黄長ヨプ氏「金正日暗殺のために武器をくれ」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

キム・ヨンサム補佐官



1997年2月12日、黄長ヨプ(ファン・ジョンヨプ)元北朝鮮労働党秘書は中国北京の韓国総領事館に電撃亡命した。 北朝鮮労働党国際担当秘書、最高人民会議外交委員長、そして主体思想の創始者というタイトルが持つ重みを考えると、黄氏の亡命はまさに驚くべき事件だった。 北朝鮮当局も当惑しているのは同じだった。 北はすぐに「拉致」を主張した。

しかしすでにかなり以前から黄氏が亡命を決心していたとことを知っている人物がいた。 現在、金文洙(キム・ムンス)京畿道(キョンギド)知事の政策補佐官を務めているキム・ヨンサム元記者(52)だ。 キム氏は黄元秘書の亡命が伝えられると、親筆書信・対話録など黄長ヨプ氏と関連した文書および資料を次々と単独報道し、国内外に少なからず波紋を起こした。


時期的に敏感であり、キム氏がまだすべて明らかにしていない「亡命の真実」はないのか? キム氏に会って真実追跡を試みた。

◇1997年4月にバンコク・ニューデリー亡命計画

--黄長ヨプ元秘書の亡命に深く介入したと聞いている。

「亡命仲介人であるイ・ヨンギル氏(3月死去)と一緒に長いあいだ黄長ヨプ先生の亡命作業を準備した。 1996年5月にイ氏が北京で黄先生に会った。 その後、何度か会っていた。 その年の夏ごろには深刻な話が出てきた。 2人は北朝鮮の民主化のために『金正日(キム・ジョンイル)を暗殺しなければならない』『武器が必要だ』と言いながら手を組もうという提案をしていた。 こういう話が出てきたので、もうどうすることもできなかった。 従ってその年の9月、国家安全企画部(現国家情報院)にこの件を引き渡した」。

続いてキム氏は亡命実行時期について「予定とは違って早まった感がある」と語った。

「1997年4月、黄先生がインド・ニューデリーで開かれる非同盟会議に代表団を率いて出席することになっていた。 中間寄着地のタイ・バンコクまたはニューデリーで亡命を選択すると話した。 私はそのつもりで出張しようと準備していたが、突然、亡命事件が起きた」。

キム氏は「実際のところ私は黄先生の亡命に強く反対していた」とも語った。

「金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏を見れば分かるが、黄先生が韓国に来ても幸せには生きられないという点を話した。 また韓国内の左翼のため自由に活動できないという点も強調した。 さらに北朝鮮に残される家族の問題もあった。 それで私は北朝鮮から出ずに、むしろその中に残って私たちと一緒に北朝鮮の民主化を図ろうと提案していた。 そう言ったところ、黄先生は『家族は一緒に出られなくても、殺されることはないだろう』と話した。 黄先生の夫人(パク・スンオク)が金正日の生母・金貞淑(キム・ジョンスク)が死んだ後、幼い金正日の世話をしたことがあるという理由だった。 また息子のファン・ギョンモ氏が張成沢(チャン・ソンテク)の親戚と結婚した点も勘案されると考えていた」



亡命前の黄長ヨプ氏「金正日暗殺のために武器をくれ」(2)


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