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【コラム】子ども、青少年、学生

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
先日、「父母は子どもに遠く見ろと言い、学父母(父兄)は子どもに前だけを見ろと言う」という公益広告が注目を集めた。これを聞いた保護者の気分はよくなかった。なぜすべての学父母をひっくるめて非難するのか。いや、あの言葉には、「学父母」は勉強のためには誤った方向を提示しているという、あるいはそうしてもかまわないという前提が隠れているのではないのか。しかし私を含む学父母が実際に子どもの勉強のためにこうした行動をしているという現実を考えれば、そのような反応は内心の罪悪感から出た過敏反応かもしれない。とにかく子どもを持つ親の胸を突く言葉であるのは確かだった。

「学」という字が入ればすべてのものが特殊な状況になってしまうのが私たちの現実だったようだ。「学生」という言葉と「子ども」「青少年」などの言葉の社会的な語感を考えてもそうだ。子どもや青少年という言葉には、まだ成長していない、幼い、したがって大人が保護すべき対象という感じがある。ところが「学生」と呼ぶ瞬間、大人たちの頭の中の保護膜は突然緩まる。

子どもと青少年は、遊興の文化で満たされた夜道を歩き回ってはならず、朝から夜まで仕事をさせてはならず、一人で遠くへ行かせてはならず、一食でも抜いてはならず、暴力の対象になってはいけないという考えを抱かせる。ところが、この言葉が「学生」に変われば違う。学生はネオンがいっぱいの夜中のビルを出入りしながら塾に通い、目が覚めてから寝るまで自律学習と深夜塾など私教育を受け、そのために食事は適当に済ませ、親と離れ、長い時間を外国で送っている。


夜11時が過ぎて外に出てみると、自律学習や塾を終えた子どもがバスに乗るために夜道を歩く。夜9時になると「子どもたちは就寝時間」と案内した放送のコメントは博物館にでも入らなければならないほどだ。小学生であれ高校生であれ、夜9時、10時どころか、深夜12時過ぎまで就寝するのは難しい。大人もこのように朝から夜までずっと一定の活動を一年中しろと言われれば疲れて反発するはずだが、「学生」という名前の前では学生も親もすべて受け入れる。子どもの睡眠権を保障するため深夜の塾を制限すべきだという言葉は出てくるが、あまり実効性はない。しかも夜間自律学習という名目で子どもを夜遅くまで学校に残しておくことに対しては、これといった制裁もなく当然と考えられている。

教育環境の行き過ぎた競争体制に問題があるが、これは入試制度や教育政策の変化なしに改めるのは難しいのが現実だ。基本的に子どもは「学生」という特殊な状況に置かれた人である以前に、大人が保護しなければならない未熟な人という認識が学父母の間に定着しない限り、どんな形の制度変化があっても、子どもが子どもとして保護されるのは難しいようだ。青い「青少年」が黄金色を帯びる「黄少年」になる前は、大人がきちんと睡眠を取らせ、きちんと食べさせることを最優先に考えなければならない。「学父母」という言葉がわい曲されたまま辞書に収録される前に。

イ・ユンジョン文化コラムニスト



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