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1972年10月13日、45人の乗客を載せてウルグアイのモンテビデオでチリのサンティアゴに向かっていたウルグアイ空軍571便は機関の故障でアンデス山脈の奥地に墜落した。直ちに捜索が始まったが、吹雪が激しい海抜3600メートルの高山地帯に生存者がいると期待した人は多くなかった。事実上捜索が中断した12月23日、事故72日たって生存者16人が発見された。
歓呼が響いたが、生存の秘密はもっと衝撃的だった。短い飛行だったので機内には食糧がほとんど用意されていなかった。飲み水は雪を溶かして解決したが、問題は飢えだった。結局これらは死んだ仲間たちの死体を食べること以外には生き残る方法がないという冷厳な現実に到達した。
真実が明らかにされた後、一部で「彼らは英雄なのか悪魔なのか」という問題の申し立てがあったが、大部分の人々は寒さと雪崩の恐怖を勝ち抜いた生存意志に拍手を送った。この話は1993年「生きてこそ」というハリウッド映画にもなった。
これらに劣らず劇的な生存者たちが最近チリに登場した。チリ・コピアポ市隣近サンホセ鉱山崩壊事故で行方不明になった鉱夫33人全員が地下700メートルの坑道に全員生存しているという奇跡のような事実が伝えられたのだ。
しかし彼らを救助するには4カ月あまりの時間が必要だという事実がまた新たな懸念を生んでいる。果たして摂氏35度の温度と濁った空気、高い湿度でこれらがそのように長い間堪えることができるだろうかという問題だ。極限状況ではどんなことが起こるかわからない。専門家たちは心理的な安定とユーモア感覚が必須だという。物理的な生存条件に劣らず肯定的な態度が重要だというのだ。
もちろん違う見方をすれば彼らは第三世界で頻発している鉱山事故被害者たちのうち相対的に幸せ者かもしれない。全世界にかけて大部分の主要鉱山が20世紀序盤の技術に構築された分、安全のためには相当な補修費用が必要だが、投資対比効率の問題で適切な措置が実現されていないからだ。
人類史上最悪の鉱山遭難事故は1942年4月26日、中国遼寧城本渓からもたらした。この事故で1549人が死亡したが、2006年1年だけでも中国ではこの3倍である4749人の鉱夫たちが事故で死亡した。韓国の鉱業労働者たちはどれだけ安全か点検してみる時だ。
ソン・ウォンソプJES記者
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