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1905年11月17日、日本の憲兵と警察が重明殿(ジュンミョンジョン)会議室のベランダと一つしかない出口を囲んだ。 乙巳勒約(第2次韓日協約)締結に最後まで反対した参政大臣の韓圭ソル(ハン・ギュソル、1848-1930)は屋根裏の部屋に閉じ込められた。大韓帝国は外交権を失った。 高宗(コジョン)はハーグ特使(1907年)を派遣し、条約の不当性を知らせようとしたが、強制廃位となる。
乙巳勒約の現場である徳寿宮(トクスグン、史跡第124号)の「重明殿」が復元された。 韓日強制併合100年となる29日から一般開放される。 重明殿は、1897年に高宗が皇室の図書館として建設したロシア風近代建築物。 1904年の慶運宮(キョンウングン、現徳寿宮)大火災の後、高宗は重明殿に移り、廃位となるまで3年間ほど執務室として使用した。
もともと徳寿宮圏域に含まれた建物だが、日帝が宮廷を3分の1ほどだけ残して毀損したため、現在は貞洞(チョンドン)劇場付近に離れて存在する。 日帝の強制占領期には外国人社交クラブとして使用され、皇室財産に戻った後、また民間に売却され、事務所に改造されたりもした。
文化財庁は06年、重明殿を買い取り、07年から原形の復元に入った。 地下1階、地上2階規模のアーチ型テラスに囲まれた赤レンガ建物の本来の姿を取り戻した。 文化財庁のイ・ジェソ事務官は「韓国伝統方式で花こう岩の基礎を積み、その上に洋式でレンガを積んだ独特の建築方式が、地下室で確認された」とし「用途は明らかになっていない」と述べた。
復元された重明殿は歴史展示室として活用される。 「重明殿の誕生」「乙巳勒約を証言する重明殿」などテーマ別パネルと史料・映像資料などが展示されている。 一日6回(午前10時から毎時、正午除く)、毎回25人ずつ案内を受けながら観覧できる。 20人は徳寿宮ホームページ(www.deoksugung.go.kr)の事前予約で、5人は現場で受け付ける。 無料、月曜日休館、(02)732-7524。
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