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マンションの起源は普通、古代ローマの「インスラ(insula)」に見出せる。煙瓦とコンクリート素材の5階、あるいは6階程度のビル型住宅だ。1階には商店など業務用空間もあり、上の階は生活の家だった。一種の住商複合だ。インスラは乱立工事が多く、排水施設が整わず非衛生的だった。後期共和政時代に急増したローマの人口を一度に収容するための住宅様式だった。
今日我々が住んでいるマンションのモデルを提示した人は、フランス近代建築運動を導いたル・コルビュジエ。彼が1960年代、マルセイユに建てた集団住宅はこのごろ流行りの「ピロティ」(1階を空けておいて活用する空間)があるなどモダンだ。しかし西欧のマンションは下流階層が暮らし、スラム化した。韓国に本格的な大団地が生じたのは64年。大韓住宅公社がソウル麻浦区桃花洞(マポグ・トゥファドン)に建てた6階建の10棟642世帯だ。当時、竣工後の入居率は10%と低調だった。「マンションは不便だ」という心理的抵抗が大きかったからだ。「練炭ボイラーは人体に良くない」というルーマーも広がった。住宅公社は空のマンションに煉炭ボイラーを稼働し、実験用マウスを寝かせて実験もした。それでもだめで結局、住宅公社建築部長がマンションでひと晩過ごした。暖房の安全性を立証するために。(ホ・ウィド「浪漫マンション」)
こんなマンションが「お金になる存在」にうって変わったのは71年に盤浦(パンポ)AID借款マンションができてからだ。「盤浦族」「福夫人」という言葉が流行った。以後、猫も杓子もマンションを求めた。「あんなきれいな空間でお茶を飲めば夫と私の世界も明るくなるようだった」(ソ・ハジン「モデルハウス」)。江南圏のマンション価格が急騰し「高級マンション居住は現代韓国人に中産層以上にあるための一種の資格証、あるいは“スペック”(spec)になってしまった」(チョン・サンイン『マンションに狂う』)。
そうしたマンションが最近、中産層にショックを与えている。いわゆる「ハウスプアー」(housepoor)だ。ハウスプアーとは家を持った貧しい人を意味する。返せない水準の借金をしてマンションを買い、金融危機後、家賃が落ちて大きな損害を被った人々だ。ハウスプアーは現在198万世帯と推定されるという(キム・ジェヨン「ハウスプアー」)。彼らにはマンションが家ではなく荷物だ。マンションが産んだ悲劇だ。政府はDTI(総負債償還割合)を緩和するとかしないとか、あれこれ考えずに、ハウスプアーがどうして生まれたのか、根本的な診断からすべきだ。
キ・ソンミン文化スポーツ部記者
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