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【噴水台】愛のムチ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

写真:中央日報日本語版



朝鮮時代、書堂(寺小屋)では朔月になればムチを用意して師匠に捧げた。まさに「書堂のムチ」の風習だ。このムチでふくらはぎを叩くのが楚撻、または撻楚だ。檀園金弘道の風俗図「書堂」に描かれたその姿だ。学生が自ら持って行ったムチが長い間使われなければ親が師匠を訪ね、楚撻がないことをさびしがったという。このように師匠がムチを持つ体罰を当たり前に受け入れていたことが我々の伝統的慣習だ。栗谷李珥も教育思想を盛り込んだ「学校模範」に「過ちをした学生にはムチでふくらはぎをたたきなさい」と書いている。

今の大学である成均館でさえ学生をムチで治めた。学則にあたる成均館学令は事実上、体罰条項一色だ。中でも一部分はこのようだ。毎日明倫堂で儒生に、前に勉強した内容を読ませる。合格できなかった人にはふくらはぎをムチでたたく罰を与える。まどろんだり散漫なだけでも罰を与え、復習を怠って将棋と囲碁、狩り、釣りのような遊戯を楽しんでも罰を与える。このため科挙に合格したすぐれた文章を「三十折楚」「五十折楚」の文章だとほめたたえる。30、50のムチが折れる楚撻を経験して得た文という意味だ。


西洋の体罰の歴史は古代ギリシアまでさかのぼる。当時、体罰と教育は分離することができないのだった。アリストテレスが『政治学』で「素直ではない子は恥ずかしくもたたかれなければならない」と言ったほどだ。ローマ人たちも学校での体罰を当たり前の教育手段だと考えた。中世に入っても体罰は厳しかった。「ムチを惜しめば子供を台無しにする」という西洋のことわざはこのとき出た。神学者マルチン・ルターさえ「ムチは良い子を作る」と説破した。それでイギリスは19世紀まで媒質(caning)を教育制度として保障した。体罰に対する否定的視覚とともに法律的に体罰を禁止する国々が多くなったのは1970年代以降だ。

ソウル市教育庁が2学期から各学校の学生体罰を全面禁止することにしたため、意見がまちまちだ。学生人権を尊重するために必要だが、子どもの指導が難しくなり、教室の授業に支障が出ると憂慮する反論もしたたかだ。一部の教師の「感情のムチ」「憎しみのムチ」は確かに暴力だ。学校での暴力は教育の崩壊を意味する。それでも正当な教育的目的に行われる「愛のムチ」さえ不正でなければならないか。現代版「愛のムチ」が惜しい。

キム・ナムジュン論説委員



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