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【噴水台】 頌徳碑

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

(写真:中央日報提供)



全南順川市栄洞(チョンナム・スンチョン・ヨンドン)には八馬碑という高麗時代の碑石がある。全南有形文化財第76号だ。「高麗史」と「新増東国輿地勝覧」に伝わる碑石にまつわる話はこうだ。高麗忠烈王時、ここを治めた昇平府使の崔碩が善政を施してから去ることになると、慣例どおり民たちが馬7頭をプレゼントした。崔碩は弊習と言いながら途中で生んだ小馬まで合わせて馬8頭を返した。これを契機に献馬の弊習が消えると民たちが彼をほめたたえ、お金を蓄え、頌徳碑を八馬費と呼んだ。地方守令の善政と功徳を称える頌徳碑の嚆矢だ。

朝鮮時代には八道に頌徳碑が多く建てられた。村の守令が変われば建てられた。不正な守令が自分の清廉を偽装しようと民たちに無理やり建てさせる場合も少なくなかった。収奪を生業とした守令が徳を称えるという碑まで建てたので、民たちには当然、頌徳碑が恨みの標的に思われた。灰を振り撤いたり汚したりしたという。


欲深な役人の頌徳碑では果川県監の物が有名だ。果川県監が離任する日、頌徳碑を除幕したら碑面に「今日送此盗」(今日この泥棒を送る)と書いてあったとか。それを見た県監が横に付け加えたのが傑作だ。「明日来他盗」(明日になればまた別の泥棒が来る)「此盗来不盡」(この泥棒は絶えず来る)。

民草らが真心を集めて地方官の功徳を称える真の頌徳碑がなかったわけではない。「土亭秘訣」を作った土亭李之菡(イジハム)は、宣祖(ソンジョ)時、牙山県監をしていた。土亭が真っ先に作ったのが乞人庁だ。乞食たちを収容して仕事を与え、自立できるように助けた。ぼろを着る民を温かく面倒を見るのが守令の本分であり、責務という信念からだ。民たちが彼を称える頌徳碑を建てたのはもちろんだ。忠南牙山市霊仁面事務所前庭にある永慕碑がそれだ。

ソウル銅雀文化院が先月30日退任した前銅雀区庁長の功績を刻んだ碑を建て、時ならぬ 「頌徳碑」論難が起こる。住民皆が意を集めて建てたものなら咎めるところではない。しかし眉をひそめる住民が多いのを見れば、そうではないようだ。民選5期地方政府が発足した。血と汗を流して善政をすれば住民たちが頌徳碑を建ててくれないことはない。長く尊敬される市長、郡守があふれ、真の現代版頌徳碑が全国のあちこちに建てられたらと思う。

キム・ナムジュン論説委員



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