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【噴水台】 二つの祖国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

写真=中央日報日本語



1956年国際サッカー連盟(FIFA)がレアル・マドリードのスーパースター、アルフレッド・ディ・ステファノのスペイン国家代表資格を認めるとサッカー界の世論は一斉に沸き立った。

FIFAはその3年前、アルゼンチン代表経歴を持ったディ・ステファノがコロンビア代表チームに国籍を変えてワールドカップに出場することができないという有権解釈を下したことがあった。以後、スペイン国籍を取得したディ・ステファノが世界最高のゴールゲッターとして名声をあげると FIFAが大会興行のために立場を変えたのではないかという非難が殺到したのだ。


しかしスペインは1958年大会予選で脱落し、1962年には本選直前ディ・ステファノが負傷により代表チームから脱落した。結局、当代最高の選手だったディ・ステファノは4回のワールドカップに3カ国代表として挑戦したが、ただ1回も本選の舞台に立つことはできず、ワールドカップ史上最も不運だった選手として記憶されている。

ワールドカップが開かれる度に国籍変更で話題になる選手たちがいる。スタープレーヤーたちがお金で売られることを阻むためにFIFAは1回でもAマッチの試合に国家代表で出場した選手はほかの国代表として出場できないという原則を固守している。

しかし生まれた環境のため2つの国籍の中、1つを選択しなければならない選手たちも少なくない。80年代、トップのミッドフィルダーだったエンツォ・シーフォは親がイタリア出身であるベルギー人だったので両方とも出場することができたが「仲間たちのほうが重要だ」とイタリアのラブコールを拒否した。結局、彼は1986年、弱体のベルギーを世界ベスト4に導くことに成功した。

2010年南ア共和国ワールドカップガーナ代表チームのケビン=プリンス・ボアテングとドイツ代表ジェローム・ボアテングは兄弟だ。2人ともドイツユース代表出身だが、兄ケビン・プリンスが代表に選抜されやすいことから親の祖国であるガーナ出身で出場すると宣言、2人は同じ組で決戦を戦った。

16日には44年ぶりにワールドカップ本選に出場した北朝鮮代表の鄭大世(チョン・デセ)が試合前、流した涙が話題になった。韓国籍ながら北朝鮮代表として活躍している在日韓国人3世、鄭大世は涙の理由を「いよいよこの地に来たという思いで胸がいっぱいになった。サッカーを始めて、こうした大舞台でブラジルのようなチームを相手に戦えるとは思えなかった」と説明した。その涙が大きな反響を起こしたのは理念や分断の悲劇よりは、サッカーに人生をかけて夢をつかんだ一青年の覇気が新鮮だったからではなかっただろうか。

ソン・ウォンソプJES記者



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