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【噴水台】虚偽報告

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



 阿片戦争の時だ。1841年3月17日、清の将軍・楊芳は広州で「清国の軍隊が敵軍に大勝した」と報告した。虚偽だった。翌日、広州省が英国軍に陥落された。

楊芳の後任者の奕山はもっとだ。奕山は同年5月26日、「英国艦隊を沈没させて燃やすという大きな戦果をあげた」と皇帝に報告する。奕山が「英国と通商を再開し、報償金600万ドルを支払う」という屈辱的な条件で皇帝にこっそりと英国軍と停戦協定を結んだ、まさにその日にだ。


易中天中国厦門大学教授は『帝国の憂鬱』で阿片戦争の敗因を説明しながら、「清国の軍隊を率いた総帥の大半が虚偽報告をした。このため皇帝はその度に嘘ばかり信じて意思決定をしなければならなかった。したがって軍隊は持ちこたえられるはずがなく、こうした国家が滅びないはずがなかった」と嘆息した。

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、朝鮮がこうした姿だった。戦争で混乱した隙に虚偽報告が乱舞した。李舜臣(イ・スンシン)将軍も虚偽報告の犠牲になった。

事情はこうだ。倭将の小西行長が「朝鮮との和議を妨げる加藤清正が憎い。加藤清正の上陸日を教えるから朝鮮水軍が撃破しろ」という情報を朝鮮に与える。これを信じた朝廷は李舜臣に出兵を促した。しかし将軍は敵の奸計を看破して動かなかった。すると小西は「加藤はすでに上陸した。惜しい機会を逃した」と非難する。朝廷は「李舜臣問責論」で騒々しくなった。

宣祖は成均館司成の南以信(ナム・イシン) に対し、閑山(ハンサン)島に行って李舜臣の過ちかどうか確認しろと述べた。全羅道(チョンラド)の民が李舜臣将軍の悔しさを訴えたが、南以信は「加藤は暗礁に乗り上げ、7日間も身動きがとれなかったが、李舜臣が躊躇し、機会を逃してしまった」と事実と異なる報告をした。このため李舜臣将軍は監獄に入れられた。将軍を失った朝鮮水軍は倭軍に戦没させられたような姿だった」(柳成龍、『懲毖録』)

すべての情報を正確に確認するのが難しかった時代の話だ。ところが「天安(チョンアン)」事件当時、軍が虚偽報告をしたという事実が最近、監査院の監査結果で明らかになった。北朝鮮の半潜水艇と疑われる未識別物体を鳥の群れと報告するよう操作したのだ。事件発生時間も歪曲し、重要な映像も除いたという。爆発音を聞いたという最初の報告も上部に隠したのだ。今は壬辰倭乱の時代なのか、阿片戦争の時代なのか。

グ・ヒリョン社会部門記者



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