阿片戦争の時だ。1841年3月17日、清の将軍・楊芳は広州で「清国の軍隊が敵軍に大勝した」と報告した。虚偽だった。翌日、広州省が英国軍に陥落された。
楊芳の後任者の奕山はもっとだ。奕山は同年5月26日、「英国艦隊を沈没させて燃やすという大きな戦果をあげた」と皇帝に報告する。奕山が「英国と通商を再開し、報償金600万ドルを支払う」という屈辱的な条件で皇帝にこっそりと英国軍と停戦協定を結んだ、まさにその日にだ。
楊芳の後任者の奕山はもっとだ。奕山は同年5月26日、「英国艦隊を沈没させて燃やすという大きな戦果をあげた」と皇帝に報告する。奕山が「英国と通商を再開し、報償金600万ドルを支払う」という屈辱的な条件で皇帝にこっそりと英国軍と停戦協定を結んだ、まさにその日にだ。
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