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【噴水台】泣き虫首相

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



中国天津の郊外、宜興埠。温家宝中国首相の故郷だ。この温家集成村には「温氏世襲図序」という系図がある。しかし温首相の名前はない。中華圏メディアが確認した内容だ。理由は何か。高祖父が外部人だからだ。温家の籍には載せたが系図には載せることができない身分だ。高祖父は賢明だった。学問だけが生きる方法だと判断した。子孫たちを残酷に教育させた。これが家の伝統になった。1948年、国共内戦が天津を襲った。温首相の家も、村も灰になった。5家族が3坪の穴蔵に移った。ここでも6歳の家宝は経書と新学問を勉強しなければならなかった。専攻は水利だが古文を自由自在に彼が引用できるのはこのためだ。

2003年3月、首相就任後の初の内外信記者会見場。全国がかたずをのんだ。彼はまず「就任以後、常に心に刻んで来たのは林則徐のこの詩の2つの句節」とした後「国のためになるなら命がけで進むものを、どうして禍福を理由にこれを避けるか」(苟利国家生死以、豈因福禍避趨之)と読んだ。記者たちは感嘆した。以前のリーダーとは格が違ったからだ。2004年4月、CC-TVとの会見では「家に水がもれることを知る者は屋根の下にいて、失政を知る者は草野にいる」(知屋漏者在宇下、知政失者在草野)という一言で人民の心を捕らえた。


学ぶ姿勢は彼の一生を貫く。最近、彼が党機関紙人民日報に寄稿した胡耀邦元総書記追悼の辞を見よう。「その方の切々たる願いは骨の中にある。言葉と行動で彼が見せてくれた教えのおかげで少しの怠惰なことも私は許さなかった」と彼は書いた。

人本を強調する古文に精通するからだろう、彼の人民史は特別だ。2008年5月、四川大震災のとき、廃墟に閉じこめられた子供たちを見て「おじいさんが助けてあげる。必ず堪えるんだよ」と涙を流した姿は今も目に浮かぶ。彼は公開の席だけで8回も涙を流した。「泣き虫首相」というニックネームはそれで出た。

民選5期を率いていく働き手たちが確定した。肩を落とす落選者も1人や2人ではないだろう。勝者と敗者ともにこの「泣き虫首相」を紹介する。一生の間で学ぶ姿勢、国民を愛する心を学ぶことを勧める。有権者は鷹の目だ。4年後、必ず票で肯定的に回答するだろう。

チン・セグン記者



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