1970年代、詩人金芝河(キム・ジハ)氏釈放運動に参加した日本前衛美術評論の大家、針生一郎元日本美術評論家連盟会長が26日、急性心不全症で死去した。84歳だった。
宮城県仙台市出身である針生さんは東京大学研究生時代、超現実主義の影響を受けて美術評論を始めた。50年代初め「美術批評」誌に日本美術界の弊習を批判する文を相次いで発表し、60年代まで日本美術界を代表する評論家として活躍した。79年に発行した「戦後の美術盛衰史」は第2次世界大戦後、日本美術を統括した力作という評価を受ける。美術だけではなく文学・社会など幅広い評論活動を広げた。2000年第3回光州ビエンナーレ特別展「芸術と人権」のキュレーターを担当した。
彼が韓国とかかわるようになったのは詩人の金芝河氏釈放運動に賛同してからだ。金芝河氏釈放のために小説家大江健三郎氏、哲学者鶴見俊輔氏らとともに東京で断食・募金運動をした。以後、韓国民主化運動を支持した。
今月初め、韓国と日本の知識人200人が参加した「韓日強制併合条約無効宣言」にも署名した。和光大学、多摩美術大学、岡山県立大学教授、埼玉の丸木美術館、福井の金津創作の森館長を勤めた。
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