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秋信守(チュ・シンス)が日本で、金泰均(キム・テギュン)が米国で野球をしていれば、どんな結果が出ていただろうか。 米国と日本という野球文化の差、秋信守と金泰均のスタイルの違いから、さまざまな推論が可能だ。
まず秋信守が日本野球に憧れていたのは厳然たる事実だ。 釜山(プサン)高校のエースとして期待を集めた98年、日本の横浜高校に合宿へ行き、2歳年上の‘怪物’松坂大輔に会って以来、日本舞台進出を夢見た。 その年の夏、松坂が甲子園でノーヒットノーランを記録するなど名声を轟かせると、日本プロ野球の指名を受けて松坂と対戦するため、99年、日本留学を決心した。
しかしエージェントなど周辺の人たちから「日本よりも舞台が大きい大リーグでするのがよい」と説得され、日本留学をあきらめたが、秋信守に野球に対する熱意を抱かせたのは日本野球だった。 仮に秋信守が松坂を目標に投手として日本舞台に進出したとしても、ある程度は成功しているという見方が多い。
当時、秋信守の獲得に向けて力を注いでいたロッテ・ジャイアンツ球団のユン・ドンベ氏は「秋信守は投手としても可能性が大きかった。 球速が150キロまで出る左腕投手で、根性もあったので、日本で投手として十分に成功するという意見が多かった」と話した。
金泰均も昨シーズン後に自由契約選手(FA)になった時、日本に劣らないほど米国側からもオファーがあったという。 複数年の巨額契約が約束された日本舞台を選んだが、パワーヒッターとして日本以上に米国で通用するという意見も多かった。 専門家は、広いスタンスと短いステップから生まれる安定感に加え、強いバット回転力を持つ金泰均が、パワーとスピードを重視する米国スタイルにより近いと評価している。
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