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【海軍哨戒艦沈没】「生きて帰ってきてくれてありがとう」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



まるで離散家族再会現場を見るようだった。天安艦行方不明者の家族50人は8日午後8時、生存将兵39人に会った。子どもとともに働き、寝食ともにした将兵たちだった。行方不明の家族たちはまるで生みの子に会ったようにしきりに生存将兵たちの顔を撫でた。行方不明者の家族も生存者も嗚咽した。出会いは1時間40分間続いた。

「あなたたちだけでも生きて帰って来てくれてありがとう。どれだけ気苦労が多いか」


ある行方不明者の母親が言った。質問を受けた生存将兵の顔はたちところに涙を流した。こみ上げる感情を抑えられなかった将兵は「一緒に来ることができず…申し訳ありません」とかろうじて言葉を述べた。母は将兵の手をきつく握って「1つの部屋に一緒にいたの?」と尋ねた。すると将兵は「いいえ。別にいました」と返事した。2人は実母、親子のように抱き締めてわあわあ泣いた。

行方不明者の家族たちは、生きて帰ってきたが、極甚な精神的苦痛にあえぐ将兵たちの健康を心配した。ソ・デホ下士(21)の母親のアン・ミンジャさんはある将兵に病気にならないようにと励ますと、将兵は声にならずむせび泣いた。ムン・ギュソク上士(36)の母親はある将兵の手を握り「どれだけ苦労しただろうか。君たちでも生きて帰って来てくれたから…」と最後まで言葉にならなかった。横にいたムン上士の妻は黙ってうなだれていた。

行方不明者の家族たちは天安艦沈没当時、子どもが具体的にどこにいたのかを気にしていた。家族たちは子の最期の姿を知りたかった。ある行方不明者の母親が「機関調整室にいたのかどうかわからないですよね」と尋ねた。するとある将兵が天安艦内の各将兵の位置が細かく書かれた手帳を取り出し、家族たちに説明をした。

生存将兵のうちは松葉杖をついた将兵、義足をつけた将兵、足をひきずる将兵もいたが、皆、行方不明者の家族たちの質問にまじめに応じた。一部、行方不明者の母親は対話を続けられずに横に置かれたいすをつかんで泣きわめいた。



この日の会見は平沢2艦隊司令部内整備地区食堂で行われた。7日、城南国軍首都病院で記者会見をした生存者58人のうち退院した46人は当日午後2艦隊に復帰した。このうち39人が行方不明者の家族たちに会うことに同意したのだ。最初、食堂内部は行方不明者の家族たちと生存将兵たちが見合わせられるよう席を並べた。しかし行方不明者の家族たちが将兵1人ずつに質問をしながら家族と将兵たちが入り混じり、離散家族再会場と似たような形になった。

この日の出会いに参加した行方不明者の家族のうち大部分が母親だった。50人が母親で父親や男兄弟たちは10人未満だった。前日、記者会見場に病院の寝巻を着て現れた将兵たちは、行方不明者の家族との出会いでは軍服を着て出席した。また前日、記者会見と軍の関係者や記者も隣席しなかった。

行方不明になったキム・ドンジン下士(20)の母親ホン・スヒャンさんは生存者との出会いを終えた後「もう気が楽になった」とし「私たちの息子と同期である224期副士官2人に会ったが、皆トンジンの褒め言葉ばかり言ってくれた」と言った。続いて「先任下士官にも会ったが、うちの息子は大人っぽくて落ち着いていたと言った。天安艦が2艦隊でいちばん親睦が厚い部隊だったという」と伝えた。



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