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【その時の今日】日帝、焼酎工場の設立を規制・大型化…‘低価格アルコール’大量生産

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



東西古今を問わず、すべての祭礼は酒を注ぐことから始まる。 酒が「接神の媒介水」になったのは、酒に酔った人が‘凡人’の境地を越えて‘超人’になったり、ひどければ‘非人’になったりするためだ。 酒に酔った人は神仙にもなり、‘犬’になることもある。 酒の‘神仙性’は酒を入れる容器にも表現された。 瓶のうち最も高価で良いものは酒瓶であり、杯のうち最も美しいのは酒杯だ。 酒をつくる過程にもいくつか禁忌が伴い、酒を飲む方法にも複雑な規則が生じ、‘酒道’にまで昇格された。

人類が初めて酒に接したのは‘発明’ではなく‘発見’のおかげだったという。 自然発酵した果実や蜂蜜を食べて気持ちが良くなる経験をした古代人が、酒をつくる方法を見いだしたということだ。 しかしその後の数千年間、人類が飲める酒は10度前後の‘水っぽい’酒だった。 発酵酒を蒸留して強い酒に精製する方法を見つけたのはアラビアの錬金術師らだった。


韓国に蒸留酒の製造法が伝来したのは高麗(コリョ)末だった。 アッラー、アルカイダ、アル・ジャジーラのように‘アルコール’もアラビア語だ。 日帝統治期まで民間では焼酎をよく「アラッキ」「アラッチュ」と呼び、無意識のうちに‘製法の由来’を表示していた。 蒸留酒は発酵酒に比べてはるかに手間がかかり、入れる材料に比べて得られる量も少なく、‘金持ちの祭祀の日’に1、2杯もらって飲める貴重な酒だったが、それだけ‘神が降りてくる速度’も速く、少しだけ飲んだ人もすぐに‘神仙’にしてくれた。

19世紀末、連続蒸留で酒精を生産し始めたことで、希薄式焼酎が出現したが、原料は依然としてコメだった。 カンショやジャガイモに化学処理をしてアルコールを抽出する技術は1920年代初め、化石燃料に代えるために開発された。 日帝も「燃料国策」方針に基づいて1936年から朝鮮に無水酒精工場を設立した。

1937年4月7日に朝鮮総督府は、これからは無水酒精製造施設を備えていない焼酎工場の新設は認可しないと明らかにした。 小規模な焼酎工場を大工場に統廃合する措置も併行した。 その後から‘低価格アルコール’が大量生産され、燃料と飲料に共用された。 同時に酒の‘神仙性’も薄れた。

稀釈式焼酎を飲んでも蒸留焼酎を飲んでも酔えば‘凡人’から抜け出すのは同じだ。 酔った人を‘神仙’と描写しようと、‘犬’と表現しようと、それも人それぞれだ。 しかし飲酒運転による交通事故は加重処罰しながらも、飲酒性の犯罪には寛大なのはどう考えてもアイロニーである。



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