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【時視各角】安重根-伊藤博文の対決、まだ終わっていない(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
 元老出版人の李起雄(イ・キウン)氏は畢生の作業である坡州(パジュ)出版都市造成の仕事をしながら、安重根を‘心の師’と見なした。 李起雄氏は1970年代に李慇相(イ・ウンサン)が書いた「安重根公判記録」に初めて会った。 その後、20年間忘れていたが、出版都市作業があちこちで難関にぶつかると、またこの本を取り出した。 官僚の非協調と「土地で商売をする」という周囲の誤解を受けた時だった。 四面楚歌の状況で会った安重根は李起雄氏に大きな勇気を与えた。 1909年に事件を起こし、日本人が準備した法廷に立った安義士はどれほど厳しい状況だっただろうか。 「それに比べると私には国があり、食べるもの、着るものもある恵まれた環境ではないか。 私の苦難など何でもないことだ。 私も命をかけてやってみよう」と誓ったと、李起雄氏は回顧した。 出版都市事業は徐々に軌道に乗り、李起雄氏は安義士の公判記録も新しく翻訳し始めた。 そして99年、『安重根戦争、まだ終わっていない』という本が出た。 李氏は出版都市内の6つの橋のうち最も大きい橋に安義士の幼名を付け、「応七橋(ウンチルギョ)」と命名した。 今日、応七橋では「安義士殉国100年記念橋歩行行事が開かれる。

安義士の業績と思想は一部の人にしか影響を及ぼさないほど懐が狭いのか。 そうではない。 特に平和に対する凄絶な渇望は、私たちしだいで日本・中国を越えて全世界に通じるはずだ。 韓日の学界でも、安義士の東洋平和論をドイツの哲学者カントの「永久平和論」と比較した研究成果が出てきている。 半面、日本の学者の中には「伊藤が狙撃されなければ韓国併合は遅れたか、起きていなかった」と主張する人も多い。 結局はコンテンツだ。 30歳という年齢で殉国した安義士を私たちがもっと‘育てる’必要がある。 一年に一度の追悼に終わってはならない。 安重根と伊藤の対決はまだ終わっていない。

盧在賢(ノ・ジェヒョン)論説委員・文化専門記者

【時視各角】安重根-伊藤博文の対決、まだ終わっていない(1)

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