10日午後、ソウル松坡のヒムチャン病院診療室。韓服をきれいに着飾った白髪のイ・オクソンさん(81)が入るとイ・スチャン院長(48)が明るくほほえんで手をぎゅっと握った。イ院長は「具合の悪いところはないか」としきりに安否を聞いた。おばあさんは「私が一生、笑みと縁遠い大変な人生を生きて来たが、イ博士に会えば気分が良くなる」と笑った。2人の縁は2001年にさかのぼる。当時、東仁川キル病院の整形外科医だったイ院長は、知り合いのお坊さんからいたわしい事情を伝え聞いた。
「15歳のとき、釜山の家の前で日本によって従軍慰安婦として連行された後、58年ぶりに帰国したあるおばあさんは膝が痛く、ひどく苦労しているが健保も適用されない」という内容だった。戸籍はすでに死亡処理までされていた。まさにこのおばあさんだった。イ院長は今すぐ助けると言った。ひざの状態をよく見ると軟骨はもちろん骨までひどく擦りへっていた。苦労の連続の人生の跡だった。おばあさんは「とても痛く、1人でトイレへ行くことさえ大変だ」と話した。
「15歳のとき、釜山の家の前で日本によって従軍慰安婦として連行された後、58年ぶりに帰国したあるおばあさんは膝が痛く、ひどく苦労しているが健保も適用されない」という内容だった。戸籍はすでに死亡処理までされていた。まさにこのおばあさんだった。イ院長は今すぐ助けると言った。ひざの状態をよく見ると軟骨はもちろん骨までひどく擦りへっていた。苦労の連続の人生の跡だった。おばあさんは「とても痛く、1人でトイレへ行くことさえ大変だ」と話した。
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