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【その時の今日】妓生までが「万歳」を叫んだ三一運動の主権意識

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



 「私たちは朝鮮が独立国であること、朝鮮人が自主民であることを宣言する。…民族の終始一貫した自由の発展のためにこれを主張し、誰もが自由と平等を享受すべきだという人類的な良心が表れることで、全世界が正しく変わる大きな機会と運勢に歩調を合わせて進むために、これを掲げて見せるのだ」。崔南善(チェ・ナムソン)が起草し、李光洙が完成させた「独立宣言書」は、この地の人々に与えられた時代的な課題が、日帝から民族的解放と独立を勝ち取ると同時に、身分と性別を越えて人間誰もが自由と平等を享受する国をつくることだと悟らせた。

1919年3月1日午後2時。タプコル公園内の八角亭に上ったキョンシン学校の学生・鄭在鎔(チョン・ジェヨン)が大きな声で朗読した独立宣言書は、4月末までに各地で起きた1214回の万歳運動を呼び起こした。当時、日帝に毒殺されたと伝えられた悲運の皇帝・高宗に対する憐憫と忠誠心から街に出た民衆は、三一運動を通して、没落した王朝に忠誠を尽くす民ではなく、自分自身が主人公になる国民国家をつくることを熱望する民族として立ち上がった。民衆の胸深くに民族的な一体感と市民意識を吹き込んだ三一運動は、日帝下の独立運動を支え、また推進する力だった。


学生・農民・労働者だけがその隊列に形成したのではない。4月1日のアウネ市場での運動を主導した柳寛順(ユ・グァンスン)が過酷な受刑生活を送った西大門(ソデムン)刑務所8号監房には、その3日前の3月29日に水原(スウォン)で発生した妓生30人余りの集会を率いた金香花(キム・ヒャンファ)も収監されていた。当時、社会の最も低い位置にいた彼女たちも、この地の歴史が自分たちが作り出す歴史であることを悟る主体に生まれ変わった。

民主共和政の樹立を熱望する民衆の主権意識は、その年4月に樹立された上海臨時政府憲法「大韓民国臨時憲章」に確固不抜の理想として刻み込まれた。「第1条、大韓民国は民主共和制にする。第2条、大韓民国は臨時政府が臨時議政院の決議によってこれを統治する。第3条、大韓民国の人民は男女・貴賎および貧富の階級がなく、一切平等である」。これから生まれる新しい国は皇帝が治める帝国の復活ではなく、国民が主人となる男女同権の民主主義国家で、議会が民意を代弁する共和政という点を強調した。「悠久の歴史と伝統に輝く大韓民国は己未年三一運動で大韓民国を建設し、世界に宣言した偉大な独立精神を継承し、いま民主独立国家を再建することにおいて…」で始める1948年制憲憲法の前文は、大韓民国の根元がどこにあるかを語ている。三一運動91周年を迎える今日。多元化した市民社会の繁栄の踏み石を設置した烈士の精神は、今でも私たちの進路を照らす灯台として明るく輝いている。

ホ・ドンヒョン慶煕大学部大学長・韓国近現代史



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