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日本による強制結婚の衝撃で精神病に苦しんだ高宗の一人娘の徳恵翁主(1912-89)に比べると英親王妃は幸せだった。しかし結婚生活は余裕がなかった。純貞孝皇后(1894-1966、純宗の妃)が61年に送った直筆のハングルの手紙で「先日スギル(義親王5男の幼名)が両殿下のところへ行った時、生計を補うためにいくらかでも届けたのか…」と生活を心配する状況だった。
財産を没収された皇族の人生は困窮していたのだ。あちこち手を差し出す所も多かった。英親王の親戚のハンジュは「自動車のドアに挟まって指3本を負傷した」とし、治療費を送ってほしいという手紙を書いた。義親王の長女も「私たちの厚かましい要請、その都度応じていただいて何とお礼を言えばいいのか…」という手紙を送った。独立後にも大韓民国政府の牽制で日本にいたが、63年にようやく故国に戻る。遺物の中の手紙類は徳恵翁主と英親王の帰国が議論されていた60年代初期の資料だ。
今年は大韓帝国が滅びて100年になる年だ。無名作家が書いた小説「徳恵翁主」がベストセラーになるなど大韓帝国に対する大衆の関心も高まっている。国立古宮博物館も今年、大韓帝国特別展を開く。鄭鍾秀(チョン・ジョンス)館長は「大韓帝国期の近代遺物収集に注力している。英親王関連資料も今年図録を出す」と述べた。
財産没収された朝鮮皇族の困窮した姿 英親王の遺物を公開(1)
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