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【社説】成熟した卒業式文化を作ろう

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
中学校の卒業式後、男女の生徒たちが制服を裂いて、卵の洗礼をする。半裸の生徒たちが背負われて海水の中に入っていく。ひどい場合は裸でもつれてコンパをする。不動の姿勢をした卒業生を先輩たちが来て拳で、俗称「卒業パン」も食らわせる。卒業シーズンを迎えて全国あちこちで見られた風景だ。特にインターネットを通じてあらわになったこれらの赤裸々な姿が衝撃を与えている。

卒業式での逸脱行為は昨日今日のことではない。自分を締め付けてきた入試と学校生活という枠から脱したい欲求が服従と束縛の象徴である制服を裂かせたはずだ。きれいに洗って生まれかわれと小麦粉をかけたはずだ。学業を終えた充足感と新しい学業に対する胸のときめきを解消して発散する適当な噴出口や文化がないため、なおそうだったのかもしれない。「卒業の解放感」がちょっと表出されるのは容認されるだろう。

しかし暴力を超えて性的虐待水準になった最近の行動はそのまま済ませられない。「弱者に対する手のつけようのない暴力」の次元になっているからだ。それでも公権力にばかりまかせておくものでもない事案だ。したがってこの問題に対する解答を含み、卒業文化に対して韓国社会が真剣に悩まなければならない時が来たと思う。


韓国社会は昔から「チェッコリ」という風習があった。子どもたちが寺小屋で千字文、童蒙先習、小学などを学び、1冊を学び終わる度に施した。麺をゆでてソンピョンをこしらえ、師匠の労苦に報いた。同時にむちに耐えながら学ぶことの段階を一つ高めた子どもも励ました。これを「チェクシシ」や「洗冊礼」と呼んだことも、本を整えて棚に残すか後輩に譲るためだ。

もちろんこうした風習を再現することは難しいかもしれない。しかしそこに込められている 「精神」だけは大事にする必要がある。このごろの卒業式は深い感謝も愛情のこもった激励もなく、単純で退屈な儀式しかないからだ。花束の主人公は生徒たちを昼夜気遣って給料の大部分を教育費につぎ込む親も、一つでももっと教えようと労力した先生でもない。「勉強するのが官職」である生徒たちだ。卒業式は「最後の授業」だ。省察の知恵と感謝することを感じる礼儀、未知の世界を迎える勇気を教える席だ。そんな点で京畿テミョン高の洗足式は亀鑑だ。生徒たちが恩恵に報いる意味でご両親の足を洗うという。制服と教科書を譲る場を作るとか地域祭りに昇華させた学校も望ましい。こうして学校なりに条件と特色を生かして格好よい伝統を作っていけば一部生徒の逸脱行為も減るだろう。

卒業を英語で「コメンスメント」(commencement)という。始まりという意味だ。長い人生の中で1つの始まりが終わり、新しい始まりが待っているのだ。保護者と教師、そして生徒が成熟した卒業文化を作るために一緒に努力する時だ。







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