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【その時の今日】大韓帝国皇帝の上に君臨した統監府設置

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



高宗(コジョン)実録は1906年2月1日の歴史をこう伝える。「第2次韓日協約(乙巳勒約)第3条に基づいて日本が京城に統監府を設置した。侯爵伊藤博文が前年12月21日、統監に採用されたが、まだ赴任せず、この日、臨時統監代理・陸軍大将長谷川好道が統監府の開庁式を進行した。「1年前、11月17日、日本軍の脅威の下で結ばれた乙巳(ウルサ)勒約第3条は統監府の設置と統監が外交権を掌握するという内容を記していた。「日本政府はその代表者として韓国皇帝陛下の下に1人の統監を置くが、統監は全面的に外交に関する事項のみを管理するためにソウルに駐在し、親しく韓国皇帝陛下を内謁する権利を持つ」

しかし来月20日に発砲された日本勅令第267号「統監府および理事庁官制」は当時、大韓帝国が外交権だけ奪い取られるのではなかったことをよく示している。天皇に直属し、その権限を代行する強い地位を享受した統監は「必要」に応じて韓国内政に関する事項も、韓国政府や地方官憲にその執行を指示することができた上、「安寧の秩序を維持」するために朝鮮駐車軍司令官に武力の使用も命ずることができた。総務部(秘書課、庶務課、外事課、内査課、法制課、会計課、土木および鉄道課)、農商工部(商工課、農務課、鉱務課、水産課、山林課)、警務部(高等警察課、警務課、保安課、衛生課)で編制された統監府の機構は韓国政府をしのぐ規模だった上、地方主要都市に設置された理事庁も警察指揮権と軍隊動員権を握って地方行政を思いのままに翻弄した。


立法、司法、行政、軍事指揮権などすべての権限を一手に握り、大韓帝国皇帝の上に君臨した実質的帝王、伊藤統監は3月2日、ソウルへ来た。9日、伊藤は皇帝謁見時に自分が統監になった理由は「ほかの意があってではなく、韓国の衰運を返上し、独立富強の水準に上げるため」と述べた。当時、伊藤は即刻、植民地化を主張した軍部に対立して表面的には「自治育成の政策」、すなわち「文化政治」を掲げた。しかし、当面、日本の保護の下、独立の力を育てよという口から出た政策スローガンと違い、伊藤が展開した融和策の内容と結果は、植民地無断統治の土台を堅める方向に機能した。

伊藤は調理法を異にしただけで、始めからまな板の上に置かれた魚を生かす気持ちはなかった。統監府も日本がこの地を支配するために立てた統治機構であり、我々の独立と富強を助けようと作った恩恵授与するための機構ではなかった。それも独立擁護者の仮面をかぶった収奪者だった。だから伊藤の胸を撃った安重根(アン・ジュングン)の義挙が植民地化を急き立てたという主張は「管中窺豹」(見識が狭い)の愚を犯す。

ホ・ドンギョン慶熙大学・学部長・韓国近現代史



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