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栄毅仁は共産中国の第1号資本家だ。上海の民族資本代表だ。残酷な無産階級闘争の中で認められた唯一の資本家だ。「紅色資本家」という名前はそこから出た。梅蘭芳は殺伐とした革命をすり抜けて京劇を守りぬいた芸人だ。よく知られない共通点が2人にはある。周恩来首相だ。
周は1958年、栄を紡織工業部副部長(次官)に招く。「栄老板」(社長)と呼んで彼を礼遇した。しかし栄も文化大革明は避けることができなかった。北京師範大付中所属紅衛兵たちが栄の家に押しかけた。栄は右手の人差し指を切られ、夫人の楊鑑清は乱打された。肢体障害者の4人目の娘も災難にあった。一家が皆殺しにされるところだった。そのとき周が出た。「栄は民族資産階級の代表的人物だ。保護しなさい」と指示した。まもなく栄一家を入院させた。世界的巨富に成長した後、栄は「周首相がいなかったら今日の私はいない」と口癖のように言った。栄は後日、政協副主席(国会副議長柄)と国家副主席(副統領柄)まで上がった。
共産中国発足前、周が導く革命組職と梅蘭芳は上海馬思南路に暮らす隣人だった。1949年5月、紅軍が上海を占領した後、周は梅に会って「あなたは抗日戦争の中で中国人の気性を表した人物」とし「国民党に付いていかずに上海に残ってくれ」と要請した。梅は感激して「どこにも行かない」と約束した。その年の6月、梅は周の要請で覇王別姫を公演する。公演直後、梅は「覇王別姫を1000回以上公演したが、今日のように痛快な日はなかった」と感激した。67歳を超えたばかりの梅が61年8月8日、心臓病で死亡したとき、周は葬礼委員長を買って出て局長を追悼した。
政界で尾生だの、曽参だの論争が起こっている。名分なのか実利なのかの争いだ。この水準を一度、越えてみよう。国のための長い視野で相手を包んだ周の眼目はどうなのか。「プロレタリアートの敵」である栄がいなかったら鄧小平が推進した改革・開放はずいぶん延ばされたはずで、一時「富む者の芸術」に恥部された京劇の大家、梅がいなかったら中国特有の文化は褪せたはずだ。中華復興の始動させた鄧小平も周が救い出したことを忘れるな。周のような長い目で見たら、世宗市のような対立は自然に解消されるだろう。
チン・セグン記者
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