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20歳のキム・ヨナ、自伝を出版(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

アラジンとミシェル・クワン、私の夢の始まり

「スケーター」という存在が初めて心の中に入ってきた日は小学校1年のとき、アイスショー「アラジン」を見た日だ。華麗なコスチュームと優雅な振り付け、美しい音楽など目を釘付けにした素晴らしい風景だった。その動作の一つひとつを目で追っていたため、内容は全然覚えていない。

私がフィギュア選手の道を歩むことを決めた翌年の1998年、長野冬季五輪が開催された。私はそのとき、私の夢を見つけた。銀メダルを獲得したミシェル・クワン。漠然とスケート選手になりたいと考えていた私に、格好のモデルができたのだ。当時、私が最も楽しんだ遊びは「冬季五輪ごっこ」だった。各自が好きな選手になってフィギュアスケートの試合に出る遊びだ。私は常に「ミシェル・クワン」役を演じ、振り付けや表情をまねたりした。


私にも思春期…何よりもさみしかった

小学校6年、私にも思春期がやってきた。朝起きるやいなや練習の準備、休憩の後に練習、そしてまたも練習。「運動するロボット」になったかのようだった。狂ってしまうのではと思うときもあり、何よりもさみしかった。思春期のころに考えるようになる死について時々考えてみたが、それはただの単語にすぎなかった。率直にいって、怖くて死ぬのなんて嫌だった。私は生きたい。

そうしている間にとうとう問題が発生した。初の負傷。03年2月の冬季国体を控えて、無理な練習から足首の靭帯を痛めてしまった。歩行も厳しいほどの痛みに「スケートをやめたい」と思った。しかも当時は国際金融危機で父の会社の経営が悪化し、それ以上スケートを続けにくい状況でもあった。当時、私を指導してくれたキム・セヨルコーチはびっくりして「国体だけでも出場すべき」と勧めた。

最後といわれ、気軽に臨んだせいだろうか。自分ですら信じられない全5種類のジャンプとトリプルアクセルを完璧にこなした後、トップを達成した。これで終わりなのか。スケートを滑らなくなれば、うれしいことばかりだろうと思っていたのに…。





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