続いて「東洋平和論」の執筆に着手した。しかし「東洋平和論」を完成するには時間があまりにも足りなかった。予定された死刑を15日ほど延期してほしいと要請したが、結局、受け入れられなかった。この部分について、栗原貞吉の手紙で注目される一節は次の通りだ。
「『東洋平和論』も執筆しはじめ、現在、序論が終わった。(…)本人は徹底して『東洋平和論』の完成を願い、死後、必ず認められると信じているため、最近、論文の著述を理由に死刑の執行を15日ほど延期してほしいと嘆願したが、許可してもらえないという。結局『東洋平和論』の完成は望みにくいようだ」。
「『東洋平和論』も執筆しはじめ、現在、序論が終わった。(…)本人は徹底して『東洋平和論』の完成を願い、死後、必ず認められると信じているため、最近、論文の著述を理由に死刑の執行を15日ほど延期してほしいと嘆願したが、許可してもらえないという。結局『東洋平和論』の完成は望みにくいようだ」。
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