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「母・兄の公開処刑も見た…そこでの私は奴隷で獣だった」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
脱北者シン・ドンヒョクさんが証言する「北朝鮮の政治犯収容所」

「愛、幸福、楽しみは収容所に存在しない単語です。最低限の単語と感情だけを学習し、労働現場で奴隷として飼育されました」

シン・ドンヒョクさん(27)は2005年に北朝鮮の政治犯収容所を脱出した脱北者だ。彼は1982年に咸鏡北道耀徳(ハムギョンブクド・ヨドク)にある収容所で生まれた。シンさんは6・25戦争当時に父親の兄弟が南側に行ったという理由で収容所で生まれ育った。連座制によるものだった。シンさんは脱出するまで一度も収容所の外の世界を見たことがなかった。反逆罪で逮捕された祖父と父は財産を没収された後に政治犯収容所に入れられた。


96年11月には脱出を企てて捕まった母親と兄が公開処刑された。彼は現場に引きずり出され家族らの処刑を直接見るよう強要された。シンさんは「そこでの私は棍棒と拳で鍛錬された獣のような存在だった」と話した。

国家人権委員会が20日に発表した「北朝鮮政治犯収容所実態調査」の結果によると、シンさんのように強制収容された政治犯は20万人に達する。

6・25戦争の休戦協定を終えた北朝鮮は1950年代後半から政治犯収容所を運営し始めた。最も多いときには13カ所で運営された。80年代後半に統廃合を経て現在は6カ所が運営されている。今回の調査で現れた北朝鮮の政治犯収容所は、“人権侵害の百貨店”のような様子だ。収監者らは狭い地域に巨大な村を作って生きている。一般住民とは完全に隔離されている。

収容所は一度入ると死ぬまで出られないところだ。収監者は互いが互いを監視する。北朝鮮当局は少数の収監者に、各種の指示を出せる小隊長、班長などの職責を与える。彼らは他の収監者の作業を監視する。この過程で殴打と拷問が頻繁に行われる。病院はあるが手術はできない。ここれは最低限の医薬品だけが支給されている。



「母・兄の公開処刑も見た…そこでの私は奴隷で獣だった」(2)


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