戦争恐怖症のワナから脱するためには…
米バージニア州リッチモンドにリンカーン大統領の銅像が初めて建設されたのが2003年だ。
連邦統合の精神を称えるという趣旨だったが、都市全体が騒々しかった。リッチモンドは南北戦争の当時、リンカーンの北部連合に反旗を翻した南部の心臓部だったからだ。「ビンラディンの銅像を01年9月11日・米同時多発テロ事件の現場に立てようとするのも同然」という、殺伐とした比喩(ひゆ)まで登場した。
「生きて息づく米国の歴史」(朴普均著)に登場するエピソードだが、多くのものを示唆する。それだけ内戦の後遺症は世代を超えて続くということだ。今年で60年を迎える韓国戦争(1950~53)も、構造は「内戦+国際戦」だ。感情のわだかまりはそのためだが、、奇妙にも韓国社会はそうした通念から離れている。いったん、北朝鮮は依然「怏々として楽しまず」である。ともすれば「帝国主義・米国」「傀儡(かいらい)の韓国」うんぬんする北朝鮮は「トラウマの国家」だ。
先制攻撃(韓国への侵攻)に失敗した後、北朝鮮・平壌(ピョンヤン)が灰に変わるのを見て、相手への恐怖心が敵愾(てきがい)心で固められた。それが集団の被害妄想症に発展し、やがては病んだ体制と化した。北朝鮮の選択がどれだけ奇妙なものかは、統一以降のベトナムの状況と比べてみてもすぐ分かる。北朝鮮とは異なり、韓国は奇跡的な経済発展以降、寛大になった。韓国は開かれた社会に変わった。
しかし問題は、寛大になりすぎたことだ。70年代、官が主導する反共教育にうんざりし、抑圧的だったという理由から「鎧」を投げすててしまったのだ。政治の要諦であり、社会存立の骨幹となる国家の安保さえ独裁時代のスローガンにされてしまう。政界もさほど変わらない。それは「社会の多元化」にともなう多様な価値ではなく、愚かな武装解除にすぎないが、社会のエネルギーは左に、左にばかり注ぎ込まれた。
その結果、批判的自由主義ないし進歩だけが常識の標準であるかのように振る舞う世の中になった。残念ながら、それが学問の領域にまで入り込んだ。左傾化した歴史教科書、親日派人名辞典をめぐる騒動が「正義の名の下」繰り返し登場するのもそのためだ。現代史の分水界である韓国戦争そのものを歪んだ視線で見つめ、戦争の英雄、白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍を親日派と定義付けるとんでもない試みもしばしば目にする。
残念ながらもそれを矯正してくれる社会の動力が足りないのが厳然たる現実だ。政府は、社会統合を理由に適当な折衷ないし妥協を試みようとするが、依然として無気力だ。いずれも韓国戦争についての「集団記憶」、つまり「歴史を書くのを独占した民衆勢力」が残した弊害である。すなわち、現在韓国社会は南北(韓国・北朝鮮)の対立ではなく南南(韓国内)の対立が問題であり、これが自らを傷付ける方に進みつつあるわけだ。
いつの間にか韓国は「文弱の社会」に変わった。戦争フォビア(恐怖症)のワナに落ちたのだ。兵士が軍に服務する期間も、ここ数十年間、短縮一辺倒に流れた。北朝鮮が核実験を続けても、韓国社会はほとんど対応できずにいる。こうしたとんでもないシステムについての堂々とした批判は、金鎮炫(キム・ジンヒョン)大韓民国歴史博物館建設委員長がある月刊誌に寄稿した文だ。韓国戦争の60周年に見極めるべき部分だと筆者は考える。
「大韓民国はいつの間にか2つのフォビアのワナに落ちている。まずは経済第一主義というワナだ。戦争が起きれば経済と民生が打撃を受けるとして、ひたすら被害意識から育てる。より大きな人間的価値、社会の安定、国家の利益のためには、必要ならば戦争も行うものだ。それに背を向けるのが平和のワナだ。ただ平和のレトリックだけ並べていれば平和が維持されるという幻想である」。
チョ・ウソク(文化評論家)
米バージニア州リッチモンドにリンカーン大統領の銅像が初めて建設されたのが2003年だ。
連邦統合の精神を称えるという趣旨だったが、都市全体が騒々しかった。リッチモンドは南北戦争の当時、リンカーンの北部連合に反旗を翻した南部の心臓部だったからだ。「ビンラディンの銅像を01年9月11日・米同時多発テロ事件の現場に立てようとするのも同然」という、殺伐とした比喩(ひゆ)まで登場した。
「生きて息づく米国の歴史」(朴普均著)に登場するエピソードだが、多くのものを示唆する。それだけ内戦の後遺症は世代を超えて続くということだ。今年で60年を迎える韓国戦争(1950~53)も、構造は「内戦+国際戦」だ。感情のわだかまりはそのためだが、、奇妙にも韓国社会はそうした通念から離れている。いったん、北朝鮮は依然「怏々として楽しまず」である。ともすれば「帝国主義・米国」「傀儡(かいらい)の韓国」うんぬんする北朝鮮は「トラウマの国家」だ。
先制攻撃(韓国への侵攻)に失敗した後、北朝鮮・平壌(ピョンヤン)が灰に変わるのを見て、相手への恐怖心が敵愾(てきがい)心で固められた。それが集団の被害妄想症に発展し、やがては病んだ体制と化した。北朝鮮の選択がどれだけ奇妙なものかは、統一以降のベトナムの状況と比べてみてもすぐ分かる。北朝鮮とは異なり、韓国は奇跡的な経済発展以降、寛大になった。韓国は開かれた社会に変わった。
しかし問題は、寛大になりすぎたことだ。70年代、官が主導する反共教育にうんざりし、抑圧的だったという理由から「鎧」を投げすててしまったのだ。政治の要諦であり、社会存立の骨幹となる国家の安保さえ独裁時代のスローガンにされてしまう。政界もさほど変わらない。それは「社会の多元化」にともなう多様な価値ではなく、愚かな武装解除にすぎないが、社会のエネルギーは左に、左にばかり注ぎ込まれた。
その結果、批判的自由主義ないし進歩だけが常識の標準であるかのように振る舞う世の中になった。残念ながら、それが学問の領域にまで入り込んだ。左傾化した歴史教科書、親日派人名辞典をめぐる騒動が「正義の名の下」繰り返し登場するのもそのためだ。現代史の分水界である韓国戦争そのものを歪んだ視線で見つめ、戦争の英雄、白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍を親日派と定義付けるとんでもない試みもしばしば目にする。
残念ながらもそれを矯正してくれる社会の動力が足りないのが厳然たる現実だ。政府は、社会統合を理由に適当な折衷ないし妥協を試みようとするが、依然として無気力だ。いずれも韓国戦争についての「集団記憶」、つまり「歴史を書くのを独占した民衆勢力」が残した弊害である。すなわち、現在韓国社会は南北(韓国・北朝鮮)の対立ではなく南南(韓国内)の対立が問題であり、これが自らを傷付ける方に進みつつあるわけだ。
いつの間にか韓国は「文弱の社会」に変わった。戦争フォビア(恐怖症)のワナに落ちたのだ。兵士が軍に服務する期間も、ここ数十年間、短縮一辺倒に流れた。北朝鮮が核実験を続けても、韓国社会はほとんど対応できずにいる。こうしたとんでもないシステムについての堂々とした批判は、金鎮炫(キム・ジンヒョン)大韓民国歴史博物館建設委員長がある月刊誌に寄稿した文だ。韓国戦争の60周年に見極めるべき部分だと筆者は考える。
「大韓民国はいつの間にか2つのフォビアのワナに落ちている。まずは経済第一主義というワナだ。戦争が起きれば経済と民生が打撃を受けるとして、ひたすら被害意識から育てる。より大きな人間的価値、社会の安定、国家の利益のためには、必要ならば戦争も行うものだ。それに背を向けるのが平和のワナだ。ただ平和のレトリックだけ並べていれば平和が維持されるという幻想である」。
チョ・ウソク(文化評論家)
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