山口さんは生前、イギリス日刊紙インデペンデントのインタビューで「(原爆投下でできる)きのこ雲が広島から私についてきたと思った」と語った。昨年8月、日本の毎日新聞とのインタビューでは「広島と長崎で2度も命拾いをした。その後の人生はボーナスだと思う」と話した。
2度の原爆攻撃を経験したにもかかわらず、山口さんは驚くほど元気な余生を送ったと彼の家族たちは伝えた。終戦前、日本に駐屯した米軍基地で働き、教鞭を取ったが、結局、三菱重工業に復帰した。娘のヤマザキトシコさんは「父は原爆被害者とはわからないほど元気だった」とし「大きな負傷を負った被爆者たちに申し訳ないとして、反核闘争にも加わらなかった」と話した。
しかし晩年になって声を出し始めた。回顧録も執筆し、2006年には被爆者たちに関するドキュメンタリー映画にも顔を出した。昨年6月、長崎で講演をし「米国のバラク・オバマ大統領に核兵器を禁止してほしいと嘆願する手紙を送った」と公開した。「タイタニック」などを演出した米国映画監督ジェームズ・キャメロン氏が山口さんを訪れ、原爆関連映画プロジェクトに対する話を交わしたこともあったとIHTは伝えた。
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