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【その時の今日】独立精神と民主主義の思想植えた徐載弼

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



独立運動家の徐載弼(ソ・ジェピル、1864~1951)は1884年に甲申政変(日本の援助を得て独立党が起こしたクーデターで、清国軍の介入で失敗した)を起こし、初めてこの地に国民国家を建設しようとした開化派のひとりだった。

政変失敗の後、米国に亡命した同氏は、市民権を得て米国人女性と再婚し、米市民として生きた。しかし、逆さ読みすればソ・ジェピルと読まれる「Philip Jaisohn」という英語の名前が示すように、大きく3回「故国を懐かしがる熱病(Korea fever)」を患い、韓国の改革と独立に向けた道に情熱を燃やした。


「朝鮮(チョソン 1392~1910)の人々は他人に頼り、支えてもらおうとする気持ちをなくすべきだ。清国に頼るな。召使いや用務員にすぎない。日本に頼るな。後に内臓を失うことになるだろう。ロシアに頼るな。しょせん体ごとのみ込まれることになるだろう。英国と米国に頼るな。清国と日本とロシアに恨まれることになるだろう」(1898年1月20日付・独立新聞)。

1895年12月から1898年5月まで▽日清戦争▽甲午更張(甲午改革 1894年から1895年にかけて行われた急進的な近代化改革)▽明成皇后(1851~1895)殺害事件▽俄館播遷(朝鮮の第26代王・高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったこと)--などで極度な混乱に陥った母国に戻って独立新聞と独立協会を作り、清国の束縛から脱したばかりのこの地の人々の胸の中に、独立精神と民主主義の思想を植えるため全力を尽くしたのが1回目である。

「大韓独立万歳の雄壮な声は漢拏山(ハンラサン)を越え、太平洋を渡り、米全域に響き渡った。韓国の独立運動がこのように急転直下で進展するとは私も予想できなかった。これを耳にした私はメスを捨てて、試験管を捨てて、飛んできた。韓国の問題を世界の世論に訴えることを決心した」(「徐載弼博士の自伝」、スソン社、1948)。

民族全体による「3.1独立運動」(日本による植民支配時代の1919年3月1日、朝鮮で起こった独立運動)が起きた直後の1919年4月から1922年2月まで、本業の医師をやめて米フィラデルフィアで李承晩(イ・スンマン)と共に外交的な方法で独立を得るため全力投球したのが2回目である。

「韓国の歴史上、初めて得た人民の権利を他人に略奪されるな。政府に盲従ばかりせず、政府は人民が主人であることを、人民の従僕であることを忘却してはいけない。この権利を外国人や他人が奪おうとしたら、命がけで戦うべきだ。これだけが私の終生の願いである」(1948年8月29日付・朝鮮日報)。

1947年7月から1948年9月にかけて、政争と分裂が広がった解放(独立)の政局で、政派に縛られない超党派の政治家として渾身の力を振り絞ったのが3回目だ。「団結すれば朝鮮が生き残り、万一、分かれれば朝鮮がなくなるだろう。朝鮮がなければ南方(韓国)の人もなくなるのであり、北方の人(北朝鮮)もなくなるのだ。いま死ぬためのことをすべき理由があるだろうか。生きるための道理をわきまえるべきだ」(「3.1節に際し朝鮮の同胞に告げる」、1949)。

同氏の帰天から59周忌の今日。独立記念館前の庭にある「徐載弼の語録碑」に刻まれた同氏の言葉が胸を打つ。

慶熙(キョンヒ)大学許東賢学部大学長(ホ・ドンヒョン、韓国近現代史)



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