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【噴水台】原発三国志

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



1980年代は原子力業界の氷河期だった。79年、冷却水装置の異常により30秒で20億ドルの原子炉が溶け、住民100万人が放射能に露出されたスリーマイル(米国ペンシルバニア州)事故の余波だった。86年には悪夢のようなチェルノブイリ事故まで起こった。米国を含む多くの国が原子炉建設計画を凍結した。こんなときでも韓国の新軍部は「原子力入国」計画を追いやった。

当時、発注した韓国の蔚珍(ウルチン)1・2号基をめぐり米国のウェスティンハウスとフランスのフラマトムが争った。初めはゲームにならないように見えた。それまで韓国が稼働または建設中だった原子炉7基のうち、重水炉である月城(ウォルソン)1号基を除く6基がウェスティンハウスの作品で、当時、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は対米関係強化に力を注いでいた。しかし最終勝者はフラマトムだった。ウェスティングハウスが油断していた間、「出血」に近いほどの安値を提示して積極的に韓国を攻略したのだ。韓国政府としては特定会社(ウェスティンハウス)への技術従属への懸念を拭うという名分もあった。当時、フラマトムはウェスティンハウスから、以前に受けとった軽水炉源泉技術をもとに技術の自立を遂げ、初めて海外輸出を始めたので、今の韓国電力と似ているといえようか。


実際には朴正熙(パク・チョンヒ)政権でもフランスの原子力技術導入を推進していたことがあった。ただ対象が原子炉ではなく核燃料再処理施設だった点が違った。朴政権は2年余りの交渉で75年、フランス国営核燃料公社と再処理施設導入契約を締結した。しかしこれは最後の段階で、米国の牽制で挫折してしまった。74年5月、インドの核実験以後、米国は激怒してほかの国の核開発計画監視に出たが、その最初のケースとして韓国が引っかかったのだ。もしこの計画が実行に移されていれば、韓国は早々に再処理能力を確保した可能性が高い。

UAE原発受注競争で現れたように、3世代原子炉開発に成功した韓国とフランス、日本が原発ルネサンス時代に熾烈な巴戦を広げている。わずか20年前までフランスから技術を取り入れていた韓国が、フランスを軽く追い抜くほどに成長したのだから隔世の感とはこんな場合を言う言葉のようだ。原子力の世界なら20年なんて永劫の歳月だ。数百万分の1秒で起きる核分裂連鎖反応の速度を制御するのが原子力発電の核心だから。



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