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地方大学の危機が深刻だ。優秀な学生たちは一様にソウルにある大学に集中している。入学が難しければ編入学をしてでも地方大学という「烙印」を消そうとしている。良い評価を受ける教授たちも首都圏大学をあちこち覗くことは同じだ。地方大学をソウル進出のための足場程度に思う教授が1人2人ではない。条件が不如意であればイソップ寓話の「きつねとぶどう」のように自分の合理化をするが、大部分、地方という足かせを脱ぎ捨てることができずにやきもきする。
研究基盤が整っていないのは言うまでもない。施設も劣悪だが人がいないのはもっと問題だ。大学院課程も名刺を派手に飾りたい政治家や事業家たちがいて命脈でも維持できる程度であって、一緒に研究する人材を確保するのは並大抵のことではない。実際にアジア圏留学生たちがいなければ地方大学の大学院課程はすべて門を閉めなければならない実情だ。
事情がこうであるにもかかわらず地域メディアは「教授叩き」に夢中になっているようで残念だ。最近でも論文引用索引統計数値を取り上げて1面トップ記事で「地方大学教授、勉強が足りない」などと報道した。統計が持つ意味をまともに理解することもせず、断片的数値で全体を悪く報道している。地方の劣悪な条件は考慮せず、ソウルと比べて地方大学のレベルを失墜させているのだ。地方大学、特に地域拠点の国立大学のこうした事情は、国立大学の法人化が可視化されればもっと深刻になる見通しだ。劣悪な地方の経済的条件などが大学の経営不振に直結するからだ。
問題は地方大学の危機が単純に教授や学生たちの問題にとどまらないということにある。地方大学の衰落がすぐ地方の崩壊につながり、これはまた地方大学の経営不振を進めることになる。こうした悪循環の輪を断ち切るためには、大学はもちろん、地方政府やマスコミ、住民たちが意と力を合わせなければならない。同時に地方大学の危機が中央-地方の構造的矛盾と連結しているという認識を新たにし、これを打開できる案を同時に模索しなければならない。地域の才能を育てるために住民登録を移すなど小手先の軽率な行動はやめて、そうした熱意を地域の大学を育てるのに使ってほしいと注文したい。
各地方で力を入れている企業誘致も教育インフラの拡充なしにはその効力を期待することはできない。例えば成功的な伝統音楽の祭りも伝統音楽に対する教育底辺の拡大を通じて期待できるものだ。大学が生きればと企業も、祭りも自らの役割を果たせるのだ。言い換えれば地方大学が生きてこそ地方が生き、地方が生きれば国が生きる。地方大学活性化を通じて地方共倒れの危機を乗り越えることに、地方政府とマスコミはもちろん、中央政府が力を入れなければならない理由がまさにここにある。
イ・ジョンミン全北(チョンブク)大学教授、英語学
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