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【その時の今日】「皇宮周辺に2階建て禁じる」大韓帝国の「高度制限」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



「近来ソウルの各地に外国人が所有する建物のうち、先端が天をもこするかと思われるほどのものが多い。建物は本来それぞれ自由に建てるべきものであることから、我々とあまり関係はないものの、ただ貞洞(チョンドン)の1カ所だけはすべての民が謹み、身を控える皇宮と近い所で、国の体面に関連がある… 領事は帰国の紳士や商人らすべてに同点を知らせ、貞洞の境界内や付近に新しい2階建てを建てることがないようにしてほしい」--。

1901年11月27日、大韓帝国(1897年から1910年まで朝鮮が使用していた国号)の外部大臣臨時署理、閔種默(ミン・ジョンムク)が各国の領事館あてに送った文だ。そのころ、貞洞付近にはすでにロシアと英国、フランスの公使館、孫鐸(ソンタク、Sontag Hotel)ホテルとパレホテルなど2階建てが並んでいた。


それにもかかわらず改めてこうした公文書を送ったのは、前年に工事が始まった石造殿(德寿宮内にある石造の建物)のためだったようだ。石造殿は当時のソウルで最も高い3階の「高層ビル」として設計された。人類が「神は天に住む」と普遍的に信じはじめて以来、「高い」と「神聖なる」は同じ意味だった。最近、オバマ米大統領が天皇に頭を下げておじぎしたことが議論を呼び起こしたが、「腰を折ること」は背を低め相手の身を「高める」意味をもつ。

高さと低さの関係は建物の間でも表現されなければいけなかった。朝鮮(チョソン、1392~1910)時代に宮廷より高い建物や、宮廷より高い所には建築物を建てることができなかった。山に建物を建てたり、建築物で山を遮ったりするのも韓国人にとっては長年にわたり禁忌であった。「山所」(墓地のこと)という言葉が意味するのと同じく、山は死んだ人が住む地として、神聖な所として扱われた。

俗世に背を向けた僧侶やこの世で許されない泥棒と火田民でなければ、山に家を建てなかった。しかし、ソウル入りした西洋人は建築物に対する韓国人の禁忌を平気で黙殺した。西洋人が高い所に建てた建物は新しい神聖を象徴し、韓国人も「止むを得ず」であれ意図的であれ、ついにその後に従った。

愛国歌(韓国の国歌)は「東海(トンへ、日本名:日本海)と白頭山(ぺクトゥサン)」からはじまる。山の「精気」や「気象」が入らない校歌もほとんどない。韓国人は山の稜線が作る景観をともに眺めてこそ、心がひとつになると信じた。1階より高いビルの建設に努める最近の世相が、山をともに眺めていた人々の心を散漫にするのではないかと懸念される。より気になるのは、現在、建設中のマンションを再建するときにはいったい何階建てにするのか、またその廃棄物をどう処理するのか、ということだ。



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