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【コラム】後に生まれた者が歴史に石を投げるのか-親日人名事典の後(上)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「私には(京城駅グリルの)この物悲しい雰囲気が、街中のティールームの騒がしい雰囲気より気に入っている。 閉店まで座っていることも多かった。 コーヒーがいい」

李箱(イ・サン)の小説「翼」に出てくる一節だ。 彼が1925年に完工したソウル駅のスケールと、当時のモダン飲料であるコーヒーに魅了されていることが分かる。 日帝が植え付けた近代の誘惑はそれほど強烈だった。 植民地の若者の一部はモダンボーイに変身した。 自分の力で得たものでないモダン文明に胸が痛んだが、新しい変化と恩恵を楽しんだのも事実だ。 こうした逆説の風景は日帝時代の日常史・文化史の本に出てくる。

2000年の「ソウルにダンスホールを」(キム・ジンソン)、「モダンボーイ京城を散策する」(シン・ミョンジク)、「魅惑の疾走、近代の横断」(パク・チョンホン)など多くの本は近代の一般人の日常を照明している。 西欧も同じだ。 例えば日常史としてドイツ・ナチス時代を研究したところ、全く違う歴史の絵が登場した。 独裁権力に全面的な支持・協力や強力な反対・抵抗をした勢力ではなく、消極的な抵抗から自発的な同意をした多数の顔が表れた。 こうした人々は留保的同意ないし無数の複合的選択をしたのが特徴だ。 すなわち政治史が「黒と白の歴史」なら、日常史は「多様なカラーの歴史」だ。


批判的な歴史認識に加わるということか。そうではない。 むしろ責任を共有しようという成熟した態度だ。 ユダヤ人虐殺を見ても、ヒトラーやゲッベルスなど少数の権力者や大衆レベルの自発的同意があったという論理だ。 数日前、民族問題研究所が「親日人名事典」を出したが、ここで尋ねてみよう。 もしかすると私たちは手軽な‘歴史のアリバイ’を作ったのではないか、「一身の栄達を追求した」という売国奴名簿を作って石を投げるのに夢中になっているのではないか、それは後に生まれた幸運で前の世代を裁断するという横暴といえるかもしれない。

言論人の張志淵(チャン・ジヨン)と政治家の朴正煕(パク・ジョンヒ)が論争の対象になっているが、朴正煕の場合、光復(解放)直前、初級将校生活を1年ほど送った。 それ以前には軍官学校に志願した際、血書を書いたという話が登場したが、当時20代の若者がそのような選択をする蓋然性がなかったとはいえない。 それが当時の現実だったのだから。 かといって彼を「植民化された軍人」と一まとめに規定しなければならないのか。むしろ植民地の現実の中で近代性に目を向ける過程を通して後日の彼が成長したと見るのが正しい見解ではないのか。歴史のアイロニーは明らかだが、今はもうそのような逆説を受け入れる時代になった。 とにかく人名事典の登場はこれを反すうする契機であり、親日過去史清算の一転機だ。

人名事典は解放後うやむやになった反民族行為特別調査委員会(反民特委)以来のもので、事典の編纂に国庫8億ウォン(約6000万円)が支援されたため、一定の歴史性を持つ。 事典の編纂をした人たちも民族的熱情で作業に参加したはずであり、そのような熱情はこの社会の貴重な基礎だ。 今後が問題だ。 事典が出た後に過去史に対する腹いせが増幅するのか、省察の契機として作用するかが核心だ。 参考に詩人・李箱は総督府で勤めた。 内務局建築技師だったが、‘幸い’1937年に死亡した。 彼が夭折していなければ、今ごろ親日名簿に載せられていただろう。

                                 趙佑石(チョ・ウソク)文化評論家



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