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「浦和レッズは単純なサッカーチームではありません。彼らと私たちは家族です。成績が良くても悪くても一緒に歩む共同運命体です」--。
浦和駅前のコーヒー専門店で会った泌尿器科医師、山崎さんの言葉だ。浦和の人々にサッカーチームは趣味ではなく日常と同時に使命だ。浦和市内の店の入口には「Devotion to URAWA」(浦和に献身を)と書かれたポスターが貼られている。
浦和は人口40万人余りの中小都市だった。700万人が暮らす埼玉県の首都(県庁所在地)だが、大きな企業も、これといった観光地もない都市だ。東京の北に位置する浦和は東京に職場をもつ人々が暮らすベッドタウンで、そのため経済・文化的に疎外感を感じる人も多かった。浦和の自慢はサッカーが根深く定着し、日本で最もサッカーのうまい所という程度だった。
1993年、プロサッカーJリーグが誕生し、浦和の運命が変わった。Jリーグに加盟したチームが本拠地を捜す過程で三菱重工業が浦和に注目したのだ。人口は多くないが、住民たちのサッカー愛が特別な所だからだ。浦和市民たちも、諸手を挙げて歓迎した。そうしてついに“浦和レッズ”が誕生した。
【スポーツが都市競争力だ】Jリーグ名門レッズの本拠地浦和(2)
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