歌手チョ・ヨンナム氏の判断もそうだった。‘韓国人向け’に制作したコンセプトからして同意しがたいという指摘だ。「韓国人だけの悲憤慷慨だ。日本人や中国人もこれを見て涙を流すような作品にすべきだったが…。簡単なことではないが、伊藤博文をひとまず明治時代の日本が作った人物とみなし、私たちの偉大な英雄の安重根(アン・ジュングン)がなぜ彼に拳銃を向けることになったかという葛藤と破局を込めてほしかった…」
「英雄」が本当に私たちの時代の文化商品を狙ったものとすれば、厳しい評価や補完は避けられないが、華麗なコンピューターグラフィック・演技・歌にはミュージカルの進化が見える。惜しまれるのは善悪二分法の歴史認識で満たされたドラマ構造だ。虚構的人物の朝鮮の女官(ソルヒ)の設定がその証拠だ。明成皇后の女官だったが、芸者に変身し、伊藤に接近するキャラクター…。なぜこうなのか。われわれの公演芸術力が、歴史認識が、この程度ということなのか。
「英雄」が本当に私たちの時代の文化商品を狙ったものとすれば、厳しい評価や補完は避けられないが、華麗なコンピューターグラフィック・演技・歌にはミュージカルの進化が見える。惜しまれるのは善悪二分法の歴史認識で満たされたドラマ構造だ。虚構的人物の朝鮮の女官(ソルヒ)の設定がその証拠だ。明成皇后の女官だったが、芸者に変身し、伊藤に接近するキャラクター…。なぜこうなのか。われわれの公演芸術力が、歴史認識が、この程度ということなのか。
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