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中世ヨーロッパでは飲酒が勧奨事項だった。泉や井戸が汚染して、水を飲んで病気にかかるか死ぬということがひんぱんにあったからだ。手間をかけて湯をわかして飲むより、酒と親しく過ごす方を選んだ。18世紀中盤には茶とコーヒーが代案として浮上した。しかしカフェイン過用の副作用が強いと、プロイセンのフリードリッヒ大王は、コーヒー禁止令を下し、代わりに酒を飲むこと命じたという(トム・ヒックマン「酒の使用説明書」)。
飲みすぎの害悪がますます深刻になってから、歴史は「酒との戦争」に点綴されてきた。20世紀初めスカンジナビア半島から米国大陸まであちこちで実施された禁酒令が代表的だ。しかし禁じられればますます飲みたくなるのが人の常だ。米国では酒を飲みに教会へ行く人々により、聖餐食用ワインが1922年214万ガロンから2年後には300万ガロン近くに増えた。医師たちが治療用に処方したウイスキーが1年180万ガロンに上がった。こうした「合法的」手法以外にも密輸、密酒製造などあらゆる不法が広がったのはもちろんだ。
ミハイル・ゴルバチョフ前ソ連共産党書長が85年に大々的に展開した禁酒措置も失敗に終わった。ウオツカの値段を上げて生産・販売を大きく減らしたが、アルコール中毒はむしろもっと増えた。飲み手たちが劣悪な代用品を大量に飲んだのだ。その時代に怒りの民心を語る笑い話が伝わる。ウオツカを買おうと1日中並んで頭に来た男が、ゴルバチョフを撃ち殺すとクレムリンに向かう。数日後、彼が戻ってきて言った言葉、「あそこの列はここよりもっと長かった!」
禁酒政策はこのように人気がないところに酒税の輸入を減らして国の運営にも致命打を加える。それでも国民の健康なんて知らないよとは言いにくい各国政府が泣く泣く酒に宣戦布告をしている。1人当たり年間アルコール消費量が18リットルと世界トップであるロシアは、ゴルバチョフ時に似た措置を再推進中だ。酒による死亡者が毎年50万人も出るのを座視できないからだ。フランスでも急増する事故で道端での飲酒を禁止する都市が拡散している状況だ。
韓国は新型インフルエンザが時ならぬ節酒ブームを起こしているという。お酒を慎んで免疫力を育てること、爆弾酒を飲み回ししないなど、予防守則のため忘年会景気まで冷え込んでいるという話だ。お国も手に負えない飲んべえたちを、果たしてインフルエンザが治めることができるのか、時間をかけて見たいと思う。
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