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韓日中出版交流、その展望と未来(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
 --董秀玉氏は79年、雑誌「読書」の創刊作業に参加した。創刊の背景と目標は。

「すでに30年前のことだ。文化大革命が終わったばかりの時期だった。文革時は多くの書籍が‘毒草’とされ、禁書目録に載った。知識人は人として扱われず、本は踏みにじられて燃やされた。文革直後、知識に飢えていた大衆は本を買おうと書店に集まって列をつくった。それで陳幹伯・出版局長、陳原・商務印書館会長、范用・三聯書店総編ら学界の元老が思想解放・真理堅持というモットーのもと、読書を創刊した。創刊号には‘読書無禁区’という文が載せられた。思想解放の旗は1-2人が掲げたのではない。知識人は読書を思想の‘園地’と考えた。大学生は思想の‘聖経’と信じていた」

--読書を通して輩出した学者が多いと聞いた。


「最も優秀な知識人が筆陣として活躍した。輩出という言葉は適切でない。彼らは読書の筆陣であり読者であり友人だ。元老世代では巴金、銭鍾書、施勢存、金克木、中間世代では李沢厚、王若水、李洪林、陳来、若者世代では劉小楓、甘陽、汪暉、黄平が代表的な人物だ」

--「読書」の発行状況は。

「10万-15万部を刷った。120ページで、1冊の価格は1元または1.5元だった。通俗的な時事雑誌ではなく、一般人は内容を理解するのが難しいレベルだった。最近も読書は10万部以上を維持している。80年代は改革・開放時代であり、思想啓蒙が重要だった。それで人文学に重点を置いた。90年代には社会各分野の改革案に焦点を合わせた」

--董秀玉氏は出版グループ三聯の最高経営者として活躍したが、三聯を率いた原則や経営哲学を紹介してほしい。

「三聯書店は1932年、鄒韜奮先生が設立した。鄒先生は抗日救国戦線に飛び込み、44年に亡くなるまで6の雑誌、56の書店、そして新聞を作った。韓国の安重根(アン・ジュングン)先生が銃で抗日したとすれば、鄒先生は筆で戦った。鄒先生は出版・雑誌・書店を一つにしたグループを作った。1955年に国有化過程を経て、人民出版社に吸収されたりもした。私が社長に就任した時は小さな出版社にすぎなかった。それで書店を開設し、雑誌を創刊した。経営は出版社を主とするものの、雑誌群、書店チェーンを構築した。すべての出版は人文精神・思想知恵を原則にしている」



韓日中出版交流、その展望と未来(1)


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