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裁判所が4日、いわゆる「洗濯場」攻防を終えた。先に「(贋作)疑惑を申し立てるに値する相当な理由があった」と被告人美術専門誌の名誉毀損の嫌疑を晴らした。
珍品である可能性を示唆し、原告の美術品競売会社にも手を差し伸べた。絶妙なる名判決だ。
米国には歴史的な、双方の立場を汲んだ判決がある。ジョン・マーシャル(1755~1835)米国連邦最高裁院長の「マーベリー対マディソン」事件だ。
ジョン・アダムス大統領は1801年2月、再選に失敗した。彼は任期満了まで司法部に影響力を行使しようと労力した。3月2日判事指名、3日夜の12時まで上院同意-辞令作成-大統領署名-国務長官の捺印が息つく間もなく進行された。しかしまだ辞令をすべて交付できないまま日が明けた。トーマス・ジェファーソン大統領の任期が始まったのだ。ジェファーソン大統領はマディソン国務長官にまだ辞令を受け取っていない判事たちに対する任命を撤回させた。マーベリーら該当の判事たちは国務長官を相手に訴訟を起こした。
マーシャル最高裁判長は「任命行為は完了したので、法によって辞令を渡さなければならない」と原告の手を挙げてやった。しかし「辞令伝達の根拠になる方法が憲法に違反する」とまた被告の手を挙げた。米国歴史上、初の違憲審査権の行使だった。(チェ・スンジェ「米国最高裁判事の話」)
喧嘩両成敗式判決に関する美談もある。3度連続ニューヨーク市長(1934~45)を務めたフィオレロ・ラ・ガーディアの話だ。彼は飢えた孫のためにパンを盗んでつかまった老人に罰金10ドルを賦課した。そして「老人がパンを盗まなければならない都市になるようほったらかしておいた罪」で自らに10ドル、法廷傍聴客たちに50セントずつ罰金刑を下した。老人は47ドル50セントを持って法廷を出ることができた。(ドナルド・マカロ「輝く人格」)
双方の意見を聞き入れることは「名判決」になることも、「論難の火種」にもなり得る。憲法裁判所がメディア法関連判決で「処理過程で一部違法があったが、法律は有効だ」という立場を取ったことをめぐり、まだ政界が騒がしい。双方の意見を汲んだ後遺症だ。
最近、世宗市の問題をめぐり「百年大計」と「国民との約束」が拮抗している。両方とも名分がある。しかし国民が名判決を下すのは難しいことなのか。
ク・ヒリョン政治部記者
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