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悲痛な「カギャ・ナル」記念式
1926年11月4日、朝鮮語研究会と新民社のメンバーらがソウルの食堂「食道園」(シクトウォン)に集まり「訓民正音頒布480周年記念式」を行った。出席者らはこの日、訓民正音の頒布記念日を「カギャ・ナル」(カキャの日)に決めた。同じ表音文字のアルファベットの例に従い「カギャコギョ」(「あいうえお…」に相当)からカギャを取り、名付けたのだ。しかしカギャナルのイベントはこの年で最後となった。翌年、朝鮮語研究会が機関紙「ハングル」を創刊する際、「ハングル」を訓民正音の新たな名前に決めたからだ。
朝鮮(チョソン、1392~1910)時代の第4代王・世宗(セジョン)大王がハングルを創製したということは、クリストファー・コロンブスが米国大陸を発見したということのように、形式論理だけでいえば事実ではない。世宗大王が創製したのは訓民正音だ。新しい文字がすべての森羅万象を表現できる完璧な字ではないと考えたため、名称も正字ではなく「正音」と名付けた。漢字がすべての文書生活を支配していた時代に、意味は表現できず音だけ表現する字を完全な文字に取り扱うのは難しかっただろう。
だからハングルは長い間、諺文(ハングルの旧称。俗っぽい言葉との意味)、バングル(ぞんざいな言葉との意味)、アムクル(女性が使う文字という意味)などと呼ばれた。語尾を省いて語幹だけを使う「パンマル」が複雑な尊卑法を学んでいない子どもらに一時的に許された言葉だったのと同じく、「バングル」も難しい漢字を学べなかった女性や子どものための文字だった。
中国との事大関係を公式に断絶した後、ハングルははじめて朝鮮文または国文という名前を得た。1907年には学部に所属する政府機関として国文研究所が設置された。しかし国が亡びた後、日本の「かな」が新たな国文の地位を得ることになり、ハングルは再び「原住民」のためのバングルに戻った。
ハングルという名前は1913年に周時経(チュ・シギョン 国語学者)が初めて使った。大きい文字、完璧な文字という意味だ。大韓の文字という意味にもなる。この名前には、自ら訓民正音を「バングル」とぞんざいに取り扱った歴史に対する痛烈な反省の精神が込められており、帝国主義・日本による植民支配時代にタブー視された大韓帝国(1897年から1910年までの間、朝鮮が使った国号)の記憶を蘇らせようという意味も含まれている。
それ以降、地方の講習会などで時々ハングルという言葉が使われたが、この名称は1920年代半ばまでも一般化できなかった。第1回訓民正音頒布記念日が「カギャ・ナル」になったのもこうした事情からだ。大韓民国政府樹立後、公文書にハングル専用の原則が確定した後になって、ようやくハングルははじめて完璧な国文になった。世宗大王の銅像を追加で建立するのも良く、ハングルの日を祝日に再指定するのも良い。しかしそれよりも先に、韓国民が英語の狂風に巻きこまれ、ハングルを再び「幼い民」らが学ぶ「バングル」に転落させてはいないものか振り返ってみるべきだ。
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