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今から20年前、日本で出版1年にして20刷を刷ったベストセラーがあった。今は東京都知事となった当代の門客と同時に政治家石原慎太郎と当時、日本の誇りだったソニーの創業主、盛田昭夫の共同著書という点もそうだが「NOと言える日本」というタイトルもセンセーションを促すに十分だった。マッカーサー司令部を通じて一時日本を統治し、軍事武装に憲法の制約がある日本に代わって安保を守ってくれる米国にどうして敢えて「NO」と言えるのかという話か。
この本で2人は眠っていた日本人の自尊心を目覚めさせる。たとえば「米国が対ソ連軍事力の優位を守るのに絶対的に必要な半導体技術は日本にある」(石原)や「米国企業は金遊びと買収合併(M&A)にばかり夢中になり、製品を作る活力と創造力をすべて忘れてしまった。残ったのは日本企業だけだ」(盛田)といったところだ。日本政府に向けては米国の不当な貿易圧力に屈服してはいけないと注文した。そうして「米国に対して堂々とNOと言うとき、初めて日本は世界の多くの国々と肩を並べることができるようになる」という結論を下す。この本が出た1989年は「失った10年」を迎える直前、バブル経済の最絶頂期だった。まだ中国が台頭する前ゆえに日本が米国に次ぐスーパーパワー国家になるかもしれないという見通しまで出た時であった。石原と盛田が「NO」を叫んだのはそんな自信の表れだった。
しかしその後、日本社会が2人の苦言通り動いたのか。これに対する返事もNOだ。相変わらず日本は国際社会で米国と協力体制を構築するのに全外交力を注いだ。ビル・クリントン政権時代、米国が中国と近付き、日本を弾き出す「ジャパンパッシング」(Japan Passing)現象が起こると、どうか私たちにも関心を傾けてくれと哀願するような姿が演出された。
今年に入って日本で54年ぶりの政権交代が実現すると言葉通り目をこすって見なければならない現象が起こっている。民主党内閣は自民党政権時代の日米合意事項である沖縄米軍基地移転問題をめぐり、米国と一戦衝突も辞さない雰囲気だ。「過去数十年をひっくるめて日本が最初に米国に反抗したこと」という外信の評価通りだ。敗戦後、60年たってその重い口を開いてNOと言い始めた日本。拡戦なのか収拾なのか、次のラウンドが気になる。
イェ・ヨンジュン政治部次長
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