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李厚洛(イ・フラク)元中央情報部(KCIA)部長が先月31日、死去した。 85歳だった。 李元部長はこの日午前11時45分、ソウル慶煕(キョンヒ)大学病院で脳腫瘍と老人性疾患のため死去した。
李元部長は1924年に慶尚南道(キョンサンナムド)蔚山(ウルサン)で生まれた。 46年に陸軍士官学校の前身である軍事英語学校第1期生に任官した。 軍では陸軍本部の兵站官などを務めた後、61年に陸軍少将で予備役に編入、 5・16軍事クーデターの後、朴正煕(パク・ジョンヒ)国家再建最高会議議長の公報室長として権力の前面に登場した。
63年に朴正煕議長が大統領に当選すると、秘書室長となり、権力の核心に浮上した。 6年近く大統領秘書室長を務めた後、駐日大使に赴任した。 しかし70年1月、日本へ行って1年も経たないうちに朴元大統領が中央情報部長に呼び戻した。 李元部長は、朴正煕大統領と金大中(キム・デジュン)候補が対立した第7代大統領選挙を総指揮した。
朴元大統領の絶対的な信頼をもとに72年5月、平壌(ピョンヤン)で金日成(キム・イルソン)主席に会い、7・4南北共同声明を出した。 73年4月には尹必鏞(ユン・ピルヨン)首都警備司令官が私的な席で「朴正煕大統領の後継者は李厚洛」と話したのが外部に漏れ、中央情報部長から退くきっかけとなった。 「尹必鏞事件」の後、金大中(キム・デジュン)拉致事件を主導した。
政界を退いた79年、第10代国会議員になるが、80年6月、新軍部により故朴正圭(パク・ジョンギュ)元大統領警護室長らとともに権力型不正畜財者に挙げられた。 李元部長は30年近く外部との接触を断ち、ほとんど姿を現さなかった。
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