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この花を咲かせるためにホトトギスは春から鳴き、雷は夏の日の暗雲の中で轟いた。この秋の代名詞、菊を見る詩人未堂徐廷柱(ミダン、ソ・ジョンジュ)氏の視線だ。「懐かしく名残惜しさに胸しめつけられた/遠く去った若き日々から/もう戻って来て鏡の前に立つ/私の姉のような花よ」若さの彷徨を経て鏡の前に立って自分を振り返る「姉」のイメージで「菊=円熟」の等式が読める。
秋を礼賛する人たちは菊をはずさない。東洋での国花は気丈さの象徴だ。冷たい霜が降り始めれば万物はすくむものだ。家の中ではその霜の冷たさをまともに感じることができない。しかし夜明けごろ、野外で体感する霜は鋭い寒さを持たらしてくれる。その霜柱の厳酷さに堪えぬいて花を咲かせることから菊は「傲霜枝」という別称を得た。その節概が加わり「傲霜孤節」とも歌う。
煩雑でスノビズムが幅を利かせる官職社会を脱して田園に隠居した詩人、陶淵明も菊のゆかしさを逃さなかった。彼は「飲酒」という詩で俗世間の欲望を遠ざけて生きていく心境を「東の垣根で菊を摘み、遠く南山を眺める」(采菊東籬下、悠然見南山)と歌った。田園に帰ってきた詩人陶淵明の純粋さが、菊に向かって落としかけて遠く向こうの南山に移したという視線でうまく描かれている。
秋は消えゆくものへのせつなさが一気に訪れる季節だ。霜とともに寒さが近付けば春と夏の植生たちは大部分が葉を落とす。残りの生物たちも冷たさを避け、身を隠して安住できる所を探す。近ごろ、強い生命力で黄色く白い花を咲かせる菊は、それゆえ驚異に映る。
円熟、気丈さ、純粋さの中から湧き出る真実。こんなイメージの菊は冷たくてすくむ秋の入口で、人たちにちょっと変わった感傷にひたらせる存在だ。宇宙の冷たい循環の中でも生命の強靭さを感じさせる高貴さの象徴だ。
今秋を迎えるに当たり気ぜわしい。新型インフルエンザが社会の隅々に広がっているからだ。そんなやるせなさの中で菊をまた鑑賞してみよう。鋭い霜柱にも無言で堪え、花を咲かせてしまう気丈さの象徴。ゆかしい姿と香りを広げる秋の菊は美しさそれ以上だ。
劉光鐘(ユ・グァンジョン)論説委員
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