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【コラム】安重根義士とカトリック

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
今日は安重根(アン・ジュングン)義士が中国・ハルピンで行った義挙から100周年となる日だ。

安重根義士は抗日・独立闘争の代名詞も同然な方だ。ところが、安重根義士といえば、1909年10月26日、ハルピン駅で伊藤博文を暗殺した事件ばかり思い浮かびやすい。安義士は平和主義者であり、高貴な思想家であり、哲学者、そして徹底した信仰の所有者であった。

同氏は民族の自尊と国権の守護、正義の実現と東洋の平和のため、命まで惜しまず捧げた愛国者であった。安義士は平和主義者だった。同氏は世界の列強が自国の利益だけのため帝国主義的な膨張を試みる混乱の時代に生きた。同氏は東洋の平和、世界の平和に悩み、模索した。こうした安義士の悩みと努力はたとえ未完成であるものの、獄中で執筆した「東洋平和論」にそのまま残っている。


同氏がアジアをひとつの共同体として受けとめた点や、真の平和は共同の価値の発見と共同の善を求めることで可能になるという信念を持っていたことに注目すべき必要がある。アジア共同の貨幣を発行し、アジア開発銀行を設立すべきだと力説した同氏の慧眼(けいがん)と洞察力に驚くばかりだ。安義士は人権活動家だった。正義を具現する活動に積極的に加わった。

同氏は講演の度、人間の尊厳性を強調し、人権と社会正義に対する透徹した意識を持っていた。同氏は不当に人権を侵害される人々のためには、遠い距離も厭わず駆けつけ、それらの権益を取り戻すため全力を尽くした。安義士はヒューマニストであった。常に人間に対する信頼と愛をあきらめなかった。同氏は義兵として活動したころ、独立軍部隊の位置と戦力が露出される危険をかえりみず日本人捕虜を解放した。

同氏の高邁(こうまい)な人格のため、義挙後、監獄の日本人幹部らも同氏を深く尊敬したという。安重根義士は強い信仰心を持っていた。一部の学者は同氏の生涯は信仰に基づいており、義挙も信仰の延長線上にあると主張する。安義士が伊藤博文を暗殺した後、最も先にしたことは祈祷であり、死刑前の最後の瞬間にも祈りを捧げた。同氏は1897年、ヴィレム神父から洗礼を受け、しばらくの間、同神父の服事(司祭のミサを補助する人)を務め、周辺地域で情熱的に布教活動を行った。義挙後、同氏はイエスが十字架刑に処せられた聖金曜日に死刑を受けることを要請したが拒否された。

ところが、恥ずかしくても天主教(カトリック)の中で、カトリック教徒としての安重根義士への評価は消極的だった。同氏の義挙が「殺人は不可」というカトリック教理に相反すると見たからだ。安義士が宗教を持った人として再評価されたのは93年、金寿煥(キム・スファン)枢機卿を通じてだ。金枢機卿は「帝国主義・日本による植民支配時代(1810-45)の教会が安義士の義挙に対し正しい判断を下せず、いろんな過誤を犯したことについて連帯の責任を感じている」とした上で「大韓帝国末期に帝国主義・日本の武力による侵略の前で、風前の灯火も同然だった国を守るため、この地の国民が自己救済策として行った全ての行為は正当な防衛、義挙として見なさなければいけない」と宣言した。かつて教会の歴史の誤りを認め、正したわけだ。

「安義士義挙100周年」が、同氏の崇高たる愛国・愛族の精神を多くの国民に受け継がせるきっかけになってほしい。特に多くの青少年が安義士のように個人の安危を超え、国と民族、世界の平和など遠大な夢を持てることを望む。



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