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「安重根(アン・ジュングン)義士は民族の独立と自主だけでなく、東洋の平和を主唱した人だ。愛国者で先覚者の安義士の崇高たる霊魂を少しでも慰め、子孫がその精神を見習うのを助けるため、絵を通じて同氏を蘇らせてみた」--。
中国の美術家で、在中韓国人のジャーナリスト、ナム・ヨン氏(69)は安重根義士の義挙100周年を控え、中央日報とのインタビューでこのように語った。同氏は、安義士が1909年10月26日、黒龍江省・ハルピン(哈爾浜)駅で朝鮮(チョソン、1392~1910)を侵略した元凶、伊藤博文を暗殺する場面や、殉国の直前に母親から送られた手作りの韓服(ハンボク、韓国伝統の服)を着ている安義士の最後の姿を、それぞれ考証に基づいて画幅に移した。
全羅北道益山(チョンラブクド・イクサン)が、故郷の両親が帝国主義・日本による植民支配時代(1910-45)、北満州に移住し、ハルピンで生まれたナム氏はハルピン芸術学院・美術学部(彫刻専攻)を卒業した。文革を経てメディアの世界に入り、ハングル新聞の黒竜江新聞で編集局長を務めた。ハルピンで学生時代を送り、民族の歴史に残る安義士の快挙を耳にしながら育ったナム氏が、本格的に安義士の絵を描くと決心したのは1985年ごろ。
「新聞社に勤めていたとき、安義士の活躍ぶりを絵を通じて改めてスポットを当てる機会があった。関連資料を集める中、安義士が逮捕される場面を描いた古い絵1枚を見て大きな衝撃を受けた。帝国主義・日本が敗亡した後、中国が押収し、図書館に保管してきたその絵の中で、安義士は頭を下げてひまずいたまま、殺人犯のように表現されていた」。
ナム氏は「安義士の正義に満ちた行動を否定するための、日本の帝国主義者の意図が含まれた絵」と看破した。このためナム氏は安義士の精神を歪曲した絵を正すべきだと決心した。多方面にわたり資料を調べた後、安義士が伊藤博文を射殺する瞬間をいきいきと表現した作品「ハルピン液の銃声」が誕生した。ナム氏はこの作品を含め、1904年2月8日の日露戦争から1910年3月26日に安義士が殉国するまでを、144の絵で再現し、昨年5月「安重根が伊藤博文を射殺する」(民族出版社)という本を出版した。
国内でもたくさん紹介された「韓服姿の安義士が殉国する直前の絵」を描いた理由も、中国の服を来ている囚人のイメージを壊し、崇高たる志士の風貌を蘇らせるためだった。05年には同じ志の人々とともに画報集「安重根とハルピン」(黒竜江朝鮮民族出版社)を共同で出版、安義士を知らせることに率先してきた。ナム氏は「来年3月、安義士の殉国100周年に際し、韓国で安義士の絵を展示する機会があればと思っている」と話した。
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