敦義門の1900年代初めの写真。門を通過していく電車が見える。右は復元される敦義門と周辺の城郭鳥瞰図。【ソウル市提供】 |
帝国主義・日本による植民支配時代(1910-45)に撤去されたソウル・敦義門(ドンウィムン=西大門)が2013年をめどに復元される。
1915年の撤去から98年ぶりとなる。敦義門が復元されれば、崇礼門(スンレムン=南大門)、粛靖門(スクチョンムン)、興仁之門(フンインジムン=東大門)とともにソウルの4大門がすべて本来の姿を取り戻すことになる。
ソウル市の権赫昭(クォン・ヒョクソ)文化局長は21日「ソウルの4大門のうち、唯一復元されずにいた敦義門を江北・三星(カンブク・サムスン)病院前の貞洞(チョンドン)交差点一帯(5440平方メートルの敷地)に復元する方針を決めた」と明らかにした。事業費は1477億ウォン(約110億円)だ。
復元される敦義門は幅と高さがそれぞれ12メートルにのぼり、朝鮮(チョソン、1392~1910)時代の地図、指標・発掘調査や専門家の諮問を通じて位置と形を以前の姿と同じく再現することになる。ソウル市はこのため忠正路(チュンジョンノ)とセムンアンギルを結ぶ西大門(ソデムン)高架道路を2011年までに撤去する方針だ。
また、復元される敦義門が往復8車線のうち6車線を占めることから、交通の流れを円滑にするため、地下道や迂回路を建設することにしている。現在としては地下道の建設が有力視される。
敦義門の周辺には敦義門を含め1万6666平方メートルにのぼる「敦義門歴史文化公園」も造成する。付近にある▽慶熙宮(キョンヒグン)▽ソウル歴史博物館▽京橋荘(キョンギョジャン)▽洪蘭坡(ホン・ナンパ 韓国を代表する作曲家)の家屋--など歴史文化の資源に結びつけたソウルの歴史文化の中心地にするということだ。
ソウル市は4大門のうち、敦義門地域は公演芸術のゾーンに、興仁之門はファンション・ゾーン、崇礼門は祭典のゾーン、粛靖門は展望ゾーンにそれぞれ指定、特化するとしている。また仁王山(インワンサン)区間の835メートルなど7区間、2175メートルにのぼるソウル城郭も2013年まで復元される。
権局長は「敦義門と城郭の復元が完了すれば、ソウル城郭を北漢山城、鍾路区弘智洞(チョンノグ・ホンジドン)の蕩春台城(タンチュンデソン)と括って、朝鮮王朝時代の都城防御遺跡としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に一括登録する案を進める考えだ」と話した。
ソウル市は長期的に西小門(ソソムン)の高架を撤去し、昭義門(ソウィムン)も建てなおす方針だ。
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