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【その時の今日】青山里戦闘、輝く勝利

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



1週間で日本軍1200人を射殺した戦闘の秘訣

1919年3月1日の独立運動(3.1運動)時、切実な心で独立を渇望した。


しかし平和的なデモだけでは帝国主義・日本の圧迫から抜け出せないということを胸の奥に刻印した人々は武器を手にした。20年1月初旬、中国・上海で臨時政府を率いていた独立運動家、安昌浩(アン・チャンホ)が行なった演説はこれを雄弁する。

「独立運動を平和的に続ける方針を変え、戦争を展開しようとしているのだ。独立戦争に反対する者は独立に反対する者である」--。

西北間島の独立軍が繰り広げた国内への侵攻作戦、特に洪範図(ホン・ボムド)が同年6月に収めた鳳梧洞(ポンオドン)戦闘の勝利に帝国主義・日本は肝を冷やした。帝国主義・日本は独立軍を「討伐」するため2万人にのぼる兵力を動員した。

「中国領土で戦死するのは徒死も同然だ。一時、白頭山(ぺクトゥサン)地方に避難して結氷を待ち、一歩でも朝鮮(チョソン)領土に向かって力強く進み、有意義に犠牲とならざるを得ない」。

そのとき、独立軍は洪範図の証言通り、退くところか祖国に向かって進軍した。20年10月21日、中国・吉林省青山里白頭山のふもと、高く険しい密林地帯の激しい絶壁の間の谷間につながる小道の入口に広がる開闊地、白雲坪(ペクウンピョン)に朝がやってくるころだった。

中腹と絶壁の上で息を殺して潜んでいた大韓軍政署所属の独立軍の銃口は渓谷の方から攻めて来る日本軍に向かって火を吹きこんだ。この日から26日までの1週間にわたり、独立軍の連合部隊は完楼溝・漁浪村・古洞河などの密林で、日本軍とおよそ10回にわたり対戦した。

臨時政府の機関紙「独立新聞」は「金佐鎭(キム・ジャジン)氏の部下600人と洪範図氏の部下300人が大小の戦闘約10回で撃ち殺した倭兵(日本軍)が1200人」と報じた。青山里戦闘の際、火力と兵力で絶対的優勢にあった「無敵の皇軍」を相手に、独立軍はどうやって完勝したのだろうか。

「3日間の戦闘で食糧がほぼなくなり、少ないジャガイモで空腹をなんとか満たした。一晩、1日でおよそ150里の険しい密林を軽く通過するものの、秋毫(しゅうごう)も気力を失わず、戦闘後にも数千里の山林と雪原を通過しながら凍傷になった人も少なくなかった。少しも怨む気持ちや後悔がなかったのは、真に独立の将来のため希望したところである」(「独立新聞・21年2月25日付)。

地形と地勢をうまく利用した優れた戦術と戦略、そして何よりも独立軍の一人ひとりが抱いていた不屈かつ決死の覚悟をした抗戦への意志が、再びやってきた帝国の時代を生きる今日の我々の胸の鼓動を高鳴らせる。韓国の歴史にダ・カーポがあってはならない。



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