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張保皐、日本で「財福を与える神」になった理由(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



8月18日、千年の古都、京都市左京区にある小さな寺院「赤山禅院」。

ひっそりとした所にあり、蒸し暑い日だったが、かなり大勢の人が参拝していてにぎわっていた。京都には「七福神」を信仰する寺院と神社があり、このすべてを参拝すれば福を受けるという俗説がある。この寺院もそのひとつだ。


ところが同院の本尊は財福を与えるという「赤山大明神」。とりわけ商人らが同院を頻繁に訪れるのはこのためだった。五十払い(ごとばらい)の商慣行もここからはじまった。本来毎月5日を意味する「いつかばらい」からはじまり、徐々に5、10、15日などを含む「五払い」の伝統につながった。

京都で3代目建材会社を運営するイナガキ・トシヒコさんは「以前から毎月5日に取引の代金を精算する慣行を今でも守っている」と話す。この寺院の叡南俊照師は「日本人も起源をよく知らないこの商慣習の出発点は赤山禅院」とした後「毎月5日、赤山大明神の祭日に寺院を参拝すれば、事業が繁盛し、掛け金の収金が順調に進むという俗説からはじまったもの」と説明した。

このように日本人の暮らしの深くに痕跡(こんせき)を残した、財福をもたらす「赤山大明神」はいったい誰だろうか。その根を探ってみると、驚くことに新羅(B.C.57-A.D.935)時代の人物、張保皐(チャン・ボゴ)が登場する。歴史学者は「赤山大明神=新羅明神=張保皐」という等式で説明する。

◇赤山大明神と張保皐のつながり=赤山大明神の根を調べるためには、ひとまず京都北部の比叡山にある天台宗の総本山、延暦寺を訪れねばならない。この寺は日本天台宗の開祖、最澄(さいちょう)が設立し、第3世天台座主(ざす)に任ぜられた円仁(えんにん)が興隆の基礎を確立した所だ。平安初期の天台宗の僧、円仁は中国で新羅明神にたくさん助けられたと記述されてある。

赤山禅院内にある小さな赤山宮は次のように記述されている。「円仁は入堂、留学の際、中国の赤山で新羅明神を仏法研究の守護神として祭り…その功徳により10年間の修行が無事に終わり…」。

円仁は死ぬ前、弟子らに赤山宮とは別に新羅明神を祭る寺院を設けるように、という遺言を残した。弟子らは円仁の死去から24年後の888年に新羅明神のための寺を設けたが、それが赤山禅院だ。円仁が祭ることを命じた新羅明神が誰なのかは自明である。木浦(モクポ)大・姜鳳龍教授(カン・ボンリョン、歴史学)は「赤山大明神、つまり新羅明神が張保皐と関連性があるという認識に、歴史学者の間で隔たりがない」と話した。



張保皐、日本で「財福を与える神」になった理由(2)


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