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ソウルの山々が美しい本当の理由は600年の歴史を刻んでいるからだ。市民たちに開放された北岳山(プガクサン)と仁王(インワン)山、そして南(ナム)山への道はソウル城郭に沿ってつながっている。道を歩いていけば王朝を築いて保存するのに力を尽くした朝鮮王たちの意志が感じられ、大きな花崗岩の固まりである仁王山の夏の風景を描き出した鄭歚(チョンソン)の精神の視線とあう。青瓦台後方の山まで隠れていた北朝鮮特捜部隊員たちが残した銃弾の跡まで触れてみることができる。
ソウル城郭は朝鮮太祖時、初めて建築された。土城と石城でできていたが石城は荒く割れた石で積まれている。世宗時の土城は石城に替わり、石城が崩壊された所は規格の大きい石材で積まれ耐久性を高めた。壬辰・丙子両乱を経験した朝鮮は、より堅固な城を積んだ。肅宗治世に横・縦 60センチ角の滑らかな石を積んで、以前よりずっと堅固な城郭を作った。
今の城郭は1975年から81年まで大規模で修復したものだ。当時、都城の状態を調査した結果、すべての長さは1万8627メートルだったが、都心の7203メートルは消えてなくなり、1万1424メートルは破損された状態で残っていた。7つの地域に分けて工事を実施し、修復した城郭の延長は9794.6メートルだ。
こうしてソウル城郭がやがてユネスコ世界文化遺産に登録される見通しだ。先月、オ・セフンソウル市長がユネスコ諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡協議会)のディヌ・ブンバル・カナダ委員長に会った席で、城郭の世界文化遺産登録推進意志を明らかにしたからだ。現場を視察したブムバル委員長は肯定的な反応を見せた。登録できるかは申請と実体調査などの手続きを経て2013年の総会で決まる予定だ。
写真は北岳スカイウェー八角亭近くからソウル都心方向を眺めたところだ。城郭がある北岳山裾と南山、冠岳山がひと目で見られる。城郭のうちの門は漢陽都城の北大門である肅靖門だ。ソウル城郭は日の入りから深夜1時までライトアップしている。
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