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20日午前、福岡・博多港。朝鮮時代の行列の前で道をあけさせるのに使った青い四角い旗の「清道旗」がはためく1隻の船が入ってきた。日本の軍船を象徴する10隻の船が迎えに出た。博多港未来メッセ埠頭に到着した船から朝鮮時代の軍官の姿をした人たちが降り立つ。
続いて吹打隊の後に三日月型の偃月刀を携えた朝鮮時代の軍官・使令・捕卒の姿をした人たちが見える。さまざまな旗の後に輿が続く。黒田藩主の歓迎公演が続く。
朝鮮通信使文化事業会、釜山市、福岡市が釜山・福岡交流20周年記念行事のひとつとして再現した朝鮮通信使の入港時のようすだ。入港儀式に続き午後には冷泉公園を出発し、中州の商店街を経て福岡最大のショッピングモールのキャナルシティまで朝鮮通信使の行列が続いた。
中州商店街では釜山市議会の諸宗模(チェ・ジョンモ)議長が扮装した正使一行の前で韓国のビーボーイ公演が行われた。この席には許南植(ホ・ナムシク)釜山市長と吉田宏福岡市長一行ら韓日の関係者らが出席した。
この日の朝鮮通信使行列には250人が参加した。韓国側は朝鮮通信使文化事業会がインターネットで選んだ30人に、在日本大韓民国民団70人、釜山白楊(ペクヤン)高校吹打隊員32人の132人で構成された。日本側は朝鮮通信使を歓迎する黒田藩主役を務める100人余りが参加した。通信使行列に軍卒として参加したキム・ミョンユンさん(25、東西大学4年)は、「400年前の祖先たちの足跡をたどってみると朝鮮通信使行列が韓流の始祖だということを感じた」と述べた。
19日に福岡マリンメッセではビーボーイグループXTCと南山ノリマダンの合同公演、釜山市立舞踊団の天下太平の舞、福岡のヒップホップグループ「Be Bop Crew So」などの公演が行われた。
朝鮮通信使文化事業会の許南植会長(釜山市長)は、「朝鮮通信使行列再現だけでなく、フォーラムを開き文化行事、料理紹介などを一度に行うことで朝鮮通信使が文物を交流した姿を再現してみよと考えた」と述べた。
朝鮮通信使は壬辰倭乱が終わった後の1607年に467人規模で初めて日本に渡った後、1811年まで12回にわたり派遣されたが、最終目的地の東京まで行くために福岡を経たのは245年前の1764年が最後だった。これまで東京と対馬、大阪、牛窓、近江八幡、下関など日本各地で朝鮮通信使行列が再現されてきたが、福岡ではこれが初めてだ。
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