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【コラム】?小平・金大中と「実事求是」

5月6日、中国北京大学の国際関係学院大会議室。 南北(韓国・北朝鮮)関係の特講のために車椅子に乗って現れた金大中(キム・デジュン)元大統領の姿は、以前に比べてかなり衰えていた。 講演の途中、金元大統領は演説文の一部を重複して読むなど、気力が衰残していた。 しかし85歳の高齢で病魔と闘いながらも金元大統領は南北の和解と交流の拡大を力説し、大きな拍手を受けた。 その日、北京大副総長は「金大統領が北京大学に『実事求是』(事実に基づいて物事の真相・真理を求める)という言葉を残し、所蔵している」と紹介した。 「実事求是」は鄧小平の哲学を貫通するキーワードだ。 20歳の年齢差のため金大中と鄧小平は直接対面することはなかったが、「実事求是」という言葉を通してかなり以前から見えない対話をしてきたようだった。

金大中の葬儀(23日)の前日の22日は鄧小平誕生105周年だった。 理念と体制は違うが、隣国の両国の政治指導者の人生はいろんな面で似ている。 鄧小平は文化大革命時代をはじめ、3度の弾圧と粛清に耐え抜いた。 それで「不倒翁」というあだ名が付けられた。 金大中も軟禁・投獄・死刑宣告・亡命の試練を踏んで立ち上がり、忍冬草と呼ばれる。 2人の政治家の共通分母は統一哲学でも確認できる。 鄧小平は一国両制案を考案し、中国と台湾の統一の礎を築いた。 金大中は太陽(包容)政策を主張し、初めて南北首脳会談を実現させて統一に向けたきっかけを作った。

この2人と多くの面で絡んでいる人物が朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領だ。 金大中の最大の政敵だったが、朴正煕をモデルとして改革・開放を始めたのが鄧小平だ。 この鄧小平の「実事求是」を高く評価したのが金大中だ。 絶妙な縁の輪でつながっているのだ。 現実政治の中で金大中と鄧小平の行動はやや食い違う。 鄧小平は経済成長を重視した。 タンクを動員して天安門民主化運動を流血鎮圧した。 人権よりは経済を、民主化よりは安定と秩序を優先した朴正煕と似ている。 半面、金大中は民主と人権を重視した。 成長よりも分配の正義を力説した。 しかし過去と歴史を眺める2人の態度では交わりが見られる。 鄧小平は執権3年目の81年6月、「功績が先で過誤はその次だ」とし、毛沢東を積極的に包容した。 金大中は在任期間に朴正煕記念館の建設を承認することで、朴正煕と事実上の和解をした。


鄧小平と金大中は12年の差を置いて永眠した。 1997年2月19日に他界した鄧小平は唯物論者のように遺骨が火葬され、香港沖にまかれた。 銅像の建設と偶像化に反対した。 有神論者(カトリック信者)の金大中は火葬の代わりに墓地を新しく建て、死後に銅像建設の話も出ている。

鄧小平と金大中に対する評価はまだ終わっていない。 天安門の原罪のため鄧小平に対する最終評価はまだ進行形だ。 金大中に対する評価はこれから始まる。 民主化と南北和解に注目する見解もあるが、地域感情を深刻化させたという批判もある。 鄧小平と金大中に対する評価は静かに歴史に任せなければならない。 ただ、色眼鏡を外し、事実に基づき真実を追求する「実事求是」の定規を使わなければならない。



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